渡辺克樹(@katsu717)さんの人気ツイート(新しい順)

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ということで9作目「#おかえり真央ちゃん」10作目「#浅田真央HERO」ぜひご覧ください!と年始につぶやこうかと思っていたのですがモタモタ書きすぎましたね…(涙)。お付き合いいただきまして本当にありがとうございました!きょうから大阪。#浅田真央サンクスツアー 3rdシーズンが始まります!
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大きな声では言えませんがタップダンスの番組の影響が大きくこの人は本当に凄い人だなと実感。同じ頃公演の中で一番幸せを感じる瞬間を伺った時に何かいろいろ繋がった感じです。そして愛知公演の特番「おかえり真央ちゃん」も決定。全国を回るたびに故郷にも早く帰ってきてほしいなと思っていました。
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サンクスツアーはフジテレビ系列が応援しており地方局が公演をバックアップ、また特番も制作しています。それらを全国の皆さんに見てもらいたい、ということで各地の取材映像を集めた新たな特番を作ることになりました。全国の観光地を楽しそうに巡る真央さん。引退後の新しい一面を見せてくれました。
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選手のときの真央さんが不幸せだったと思っている訳では決してありません。ただ戦いを続ける中では抱きにくい感情だったかもしれず長い取材の中では聞いたことのなかった言葉でした。また初回新潟公演後の「こうして滑れて幸せです」と話したときの笑顔が決定的でした。7作目「幸せはリンクの中に」。
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2018年になると取材をまとめた特番の地上波全国放送が決定。豪華にsuperflyさんとの対談を企画したりと奔走する中またも決まらない番組タイトル…。真央さんに新しく加わったものを探すことにしました。「仲間」や「リーダーシップ」が浮かびましたが何か違う…。最後に辿りついたのは「幸せ」でした。
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2017年11月に取材が始まったときは「サンクスツアー」という名前もなく、いつどこからどれくらい、何をするかもこれから考えるという状態。でも僕自身は不思議と不安はなく、さあどう乗り越える?とワクワク。深夜の練習はキツかったけど(汗)、公演に流れるVTRを制作したり新しい経験の連続でした。
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引退後に新しい番組をと思ってトークやら旅やらの企画書もいくつか書いたことをお伝えしておきます(汗)。それらはそっとなかったことになり新しいアイスショー制作に突入。再び密着取材が始まりました。最初の取材は姉妹で曲選び。深夜2時まで…。これは長い旅になるなと覚悟を決めたのでした。
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「ラストメッセージ」。6作目にして初めてタイトルには悩みませんでした。ドキュメンタリーとはいえテレビ番組なのでナレーターに女優さんを起用するとか色々するものですがこの作品だけは信頼する局アナと真っ直ぐに思いのたけを全部込めて。真央さんがくれた勇気と希望、これだけを伝えたかった。
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6作目「ラストメッセージ」。お母様から預かったホームビデオ。泣きながらの編集作業。1番思い出に残っているのは4月10日、引退に関する取材を全てを終えたときに真央さんと固く握手をしたことです。話すだけ話しました、あとはお願いします、ということだとは思いますが鳥肌を禁じ得ませんでした。
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5作目「26歳の決断」は10年以上に渡って一緒に頑張ってきたフジテレビのフィギュアチームと制作。徹夜で生放送のOAギリギリまで細部にまでこだわってつくっただけに本当に思い入れが深いです。今も感謝の思いで一杯です。で、OA直後すぐに名古屋へ戻り6作目「ラストメッセージ」の制作に入りました。
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僕の複雑な心境など関係なく引退をどう伝えるのか、極秘ビッグプロジェクト(ちょっと大袈裟…)が動き出しました。誰にも言えない生きた心地のしない数日間を経て2017年4月10日に引退発表。そして4月12日の引退会見、さらに5作目「26歳の決断」の生放送へと続きました。
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2016-17シーズンは結果的にはラストシーズンとなる訳ですが僕としては終わることを考える ことなどなく取材。でもそんな密着取材が重圧になるだろうことも理解はしていました。引退するかも…と最初に聞いたときは目の前が真っ暗になるような、でも正直少しほっとしたような複雑な気持ちでした。
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無事放送が終わって良かったです。ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。2020年も頑張ります。 #浅田真央サンクスツアー #おかえり真央ちゃん #浅田真央HERO
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悩んだこと。例えば成績がよくなくて苦しんだときにどうカメラを向けるつもりなのか。見ている人はそれを見たいのか。それがスポーツと言われればその通りですが…。覚悟を決めるには少し時間がかかりましたが最後には何があっても真央さんの輝きは色褪せないと信じて取材を続けたのでした。
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1年間の休養が僕にとっても大きな転機となりました。バンクーバー、ソチと大きな感動をくれた真央さん。これ以上何を求めるのか。考えた抜いた末にやっぱり最後まで映像として形に残したいという結論に至りました。2016年5月OA の4作目「めざすもの」。休養から数えての2年間、最も悩んだ時期でした。
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舗道に轍が出来そうなほど足取り重く歩いていた僕ですがこれから起こるかもしれない奇跡をしっかりと見届けようと、心から応援しようと胸に誓い、またここに至るまでのドラマをしっかり視聴者に届けなければと意気込んだのでした。この3部作で完全燃焼。もう続編はないなとこのときは思っていました。
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フリー当日の公式戦練習取材後広大なオリンピックパークで本当に偶然バッタリ、真央さんのマネージャーさんにお会いしました。ショートはご心配かけました。これからガツンと喝入れてきますから!大丈夫ですよ!と明るく歩いていかれました。それを見てこれは奇跡が起こるかもしれないと思いました。
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2014年3月OAの3作目は「4分9秒の奇跡」。ソチ五輪の後もうタイトルはこれしかない!と4年間いろいろ考えていたものを再構築。女子フリーの競技時間は4分ですが実際には最後のポーズが決まるまでに前後10秒の幅があるので僭越ながら僕が何度も計測して実時間4分9秒に決めてしまいました(汗)。
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涙が真央を強くした、なんて今思えば随分勝手なタイトルをつけたものだなと思います(汗)。でもバンクーバーの後の世界選手権優勝の快挙が凄く嬉しくて、結局いつも真央さんに救われてるなと感謝の思いで一杯でした。そしてまたすぐに4年後の3作目に向けた取材が始まったのでした。#浅田真央 #HERO
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2作目は2010年3月OA「涙が真央を強くした」。バンクーバーの涙を見てこのタイトルにしたの?とよく聞かれましたが2009年のはじめにはこのタイトルに決めていました。涙を流すほど喜怒哀楽全てで夢に挑む真央さんの4年間をしっかり記録に残そう、そんな思いで取り組みました。
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2005年12月、GPファイナル開催週末に放送された花と星は真央さんの優勝の勢いに乗って高視聴率に大反響。この結果を予想してたの?と言われたりもして恐縮しきりだったことを覚えています。そして4年後の真央さんの初五輪に向けて2本目を作ることはすぐに決まったのでした。
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花と星の放送が2005年12月と決まり晴れて新シーズンの取材を!と思ったら真央さんはジュニアながらシニアのGPシリーズに参戦。この前例のない挑戦に大方の予想は表彰台に乗ることはないだろうといった感じで取材はほとんど僕だけ。のびのびと密着してたら初戦の中国杯で2位!星が輝き始めました。
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2003年春にフィギュア担当になりその夏に最初に書いた企画書の番組名が「花と星」でした。でもそのときは浅田姉妹はもうちょっと成績を残さないと番組化は難しいと言われ企画をあたため続けることに。2004年真央さん全日本ジュニア優勝と3A成功でついにGOサイン。それが記念すべき1本目。#浅田真央HERO
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全国各地に出張に行けたありがたい一年でしたが、それをまとめた #浅田真央HERO はどんなふうに皆様に届くだろうかと思いを馳せる年末です。さて、これで一体何作目なのか、夜更かししながらのんびり思い出してみようと思ってます。
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1月4日東海テレビOA「#おかえり真央ちゃん」。愛知公演の名演技と真央さん&山田満知子先生の対談が見所です。東海地区のみです。 1月5日BSフジOA「#浅田真央HERO」。2019年の #浅田真央サンクスツアー を追い続けました。BSチャンネルが受信できれば全国で楽しめます。ぜひご覧くださいませ~。