森晶麿 Akimaro Mori(@millionmaro)さんの人気ツイート(新しい順)

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「好きな作家は五人くらい聞かないとソウルフレンドかどうかわからんよな」 「宮部さん、東野さん、京極さん、大沢さん、米澤さん。どう?」 「んー、15人くらい聞かないとわからんかもな」 twitter.com/millionmaro/st…
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学生の頃、読書好きの集まりで宮部みゆき好きな子いて「すごい宮部好きな人初めて会った!」ってめちゃくちゃ喜ばれてソウルフレンド的な勢いでこられたことがあったんだが、読書好きで宮部みゆき好きって、スイーツ好きでパフェ好きくらいの確率で当たりまっせ、と言いたかったけど言えなかった思い出
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一、二冊くらい出した頃の新人作家にありがちなのが、デビュー版元から切られて心が折れるというパターンですが、なぜそこで心折れる必要がある? 一冊本を出したというのは、確かな実績です、それを履歴書にしたためて次に行けばいい。百社に営業かければ一社くらい話聞いてくれますよ。
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作家になってから、知人などから何度か「直木賞には応募しないのか」的なことを聞かれたことがある。応募できるもんならしているわけだが、仕組みを説明するのが面倒なので「酒飲みながら書いた原稿はドーピングで失格になるから」と話している。
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ところでよく地方の団体に作家であることを理由に呼ばれると、主催者も参加者も拙著を知らず「得体の知れない作家」という生き物を演じなければならないことがある。この場合問題なのは作家という生き物はマジシャンのように手品もできず歌手のように歌も歌えず、その場で素敵な絵も描けないことである
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誤解されやすいのですが、作家が自著感想をRTするのは会社が製品レビューをRTするのと同じで(嬉しいとか感謝とかもあるけれども)個人事業主は個人であり会社なので企業的なPR発信なのです。またネガティブ感想をRTしないのは「都合がわるい」からではなく既にご購入されたお客様に失礼だからです。
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結局これは校正の話なようで仕事のあらゆる側面の話かもしれませんね。Aの立場のチェックはBからは怒られに見えて過剰反応したくなる。でもべつの立場からのチェック体制あって初めて商品は成立するので、そこに感情は要らないんですよね。「トル」ならとるし、「ママ」ならママでいいわけです
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もしかしたらだけど、校正さんも昨今はSNSやってる人多いから、社会の目を気にする人が増えてるのかもしれないですね。「差別用語では」の指摘はやたら増えた印象。でも言葉自体の指摘は明らかに減ってきてる。私個人としては社会より言葉自体と向き合ってほしいしそこは遠慮してほしくないですね
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校正さんにはあまり遠慮してほしくないんですよ。取捨選択はこっちでできるわけですから、できるかぎり、思いつくかぎりじゃんじゃん指摘してきてほしい。でも作者がいちいちSNSに「こんなチェックが入っててぇ」とか言って晒してるの見ると遠慮しちゃうでしょ
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なぜわざわざこんな話をしたかというと、この十年単位でみたときに、各社軒並み校正の指摘がやや甘くなってるんですよ。「時計が狂ってる」は差別用語では、なんてどうでもいい指摘は入るわりに、どこか遠慮してる気配が昔より目立ちます。それはSNSでの晒し上げも多少関係してる気がするんですね
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もちろん行き過ぎた校正の指摘というのは枚挙にいとまがないわけですが、それを取捨選択する権限は著者にあります。校正の役割は作者は気が付かないだろう視点から「辞書的にはこうです、社会通念はこうです」と一応言うことで、それは決してこうしろという命令ではないのでそこが誤解されるとめんどい
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著者がどういう気持ちでそれを取り上げたにせよ、何も知らないで見た人は「校正ってのはいまどき要らない世話を焼きやがるんだな」くらいしか思わないものなので。誤解が大前提のこういう場に投げるにはあまりふさわしくない。
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ところで、校正さんの仕事は「いらん指摘かもしれないけど正しくはこう言うんですよ、ただその正しさも時代とともに変わりゆくことは承知してますが」という気持ちでスタンス的に指摘は入れざるを得ないのであまり誰彼構わず見るこういう場所に校正例を晒してあげないでほしいなと思ったりします
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マザーグースか twitter.com/mainichijpnews…
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A国とB国でたたかいが始まる。大抵はどちらか側は悪にみえるしそれはそれで真実かもしれない。問題はもう一つの国Bの「国を守る」意識がどんどん美化され、気が付くと「自分の国を守るって大切」のような愛国心の話にすり替わってAでもBでもない国の愛国論に利用されてしまうこと
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テレビの現場のチーフなどが50代40代な結果、「おじさん」のステレオタイプがいまだに演歌きくイメージで固定されている気がするな。50代40代はもう立派なおじさんなんだから、「おじさん」のステレオタイプは50代なら尾崎豊聴いてるとかで40代ならラルクや黒夢をシャウト、でいいのではないか
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べつに政治家が人間味を演出すること自体はあるだろうしあっても問題ないと思うわけ(いやだけど。でもそれがあっても問題ないのは「国民に主権がある」&「余計な忖度なく大衆と対話できるメディアがある」そういう民主主義国家であることが最低条件だと思うんだよ。
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「イメージ戦略は政治家の常では?」「そうしないと支持地盤が崩れるじゃん普通のことだよ」の発想ももちろん。問題は政党の広報PRとマスコミが同じ方向を向いてるときだね。忖度によるプロパガンダってやつ。これやられたら大衆は無思考に右向け右となる。権力監視システムが機能していない
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思想は思想、人格は人格じゃん、ごっちゃにするほうが悪いって考えの人もいよう。でもそれちょっとかまととぶってない? 世の中がそんな聡明じゃないこと、知ってて言ってるだろって思ってしまうね。あなたは分離して考えられる聡明な人でよかったね、いま個人の話はしてないからね、という感じ
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調べようよ。調べなきゃ、そりゃそうなるよ
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まあ国民の政治への関心って8割野球選手に対してでも抱いてればいいようなものなんだよね。「あの人発言が強気で好き」「意外と不良っぽい」「お洒落」「笑顔がかわいい」「ああみえてお菓子が好き」…というか政治の見えない部分が多すぎて「そういうふうに評価するしかないじゃーん」状態なんだろう
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だって考えてみ。政治家の「人間的な部分」をみて愛着をもつメリットって何? そんなもん、うちらには一個もないよ。まあ自己愛の延長程度の感情を「愛国」と思っていれば、そこと結び付けて盛り上がるポイントにできるのかもね。もはやそれだったら野球観戦の精神と何一つ変わらんけども。
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みんな自分の日常で手いっぱいなんだよ。だから国のことまで本気で考えたくない。「安心できる人に任せてるんだ」という幻想を抱いて監視するのをやめたほうが気持ちがラクになるんだよね。いまメディアは国民を「監視しなくても大丈夫さ」な気持ちにもってく手続きをしてる。でもそれ民主主義ではない
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人はよくわからない存在が国のトップとして関わるとき、恐怖心を捨てたいがゆえに「解釈項」を欲する。で、表情だの趣味だのをきっかけに「なんだ、あの人も人間ね」と思いたがる。そういうふうに無意識でなっているんだってことくらいはたぶんみんなわかると思う
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ヒトラーは超かわいい丸文字を書く人だったしお菓子が好きだったし子どもみたいに歯医者嫌いだった。そこをクローズアップすれば「まあうちの国のトップかわいい」と当時のドイツ人も思えただろう。政治家の政治思想以外の部分に目を向けるのはほんとうにやめたほうがいい