【参考情報】  2023年5月3日22時頃から神戸などで「地震」とのツイートを複数拝見します。  防災科研リアルタイム強震モニターでは ①21時59分 ②22時29分 の2度に渡り淡路島北部と神戸付近で反応がありました。  但し緊急地震速報が起動する条件では無いので動作しない様です。(解説続く)
【天皇誕生日】①  今日は昭和天皇御誕生日。  今もEF8181機は御召牽引装飾のままだが、左系労組バリバリの現場でも御召列車機関士は別格扱だったとか。  それは高技量の名誉たる証。  当然、機関士と共に検修技師も一体となっての「勲章」。  安いイデオロギーで誉を謗るのは無価値だ。 ②へ
【R304】①  常磐線南千住駅南方「小塚原」のR300=半径300mを65km/h減速で走る普通424列車。  C62形式通過限界曲線半径がR300。  平成17(2005)年4月25日9時18分、福知山線のR304区間を116km/hで5418M列車が突入した。  死者107名/負傷562名「福知山事故」はあってはならぬ事故だった。 ②へ
【事故防止装置】  現行で多く見られるホームドアは事故防止装置ではあるが「自殺防止装置」にはならない。  輸送現場で事故と自殺の違いを体感した者は理解るだろうけれども、決意をした人に取ってこんなものは障壁などにはならない。  特効薬はないものの「人の眼」の効果は大きい事は事実だ。
【的確です】  雑賀崎漁港事件の際、被疑者を最初に取り押さえた漁師風男性ですが ①背後から目立たず接近 ②腕を上から下へ落とし敵の腕を地に ③即座に身を両手で拘束 ④敵を背後へ引く と事案対処の原則行動を全て履行している訳です。  雑賀衆の末裔住む土地!!  負傷なく何よりです... twitter.com/KanenashiOpera…
【御召列車】  デジタル化された今は違うものの、国鉄時代に『御召列車』には列車番号は無かった。  これは明治期からの伝統で、御料車類に形式記号が無かったのと同じ発想で 「帝は民・臣下とは別格」 と言う区分概念によるもの。  運行時の警戒は厳重で橋の下まで警戒要員が配置されていたもの。
【親父達の背中】  責務の勤務の内容からどう考えても薄給だった国鉄マン。  ただ、その親父達の背中には確実に 『責任』 があった。  機械には代行出来ない責任の完遂。  それが日本を動かしていたのが目に見えた時代の風は、乱暴でも心地良かった。 #人がいるから返って良かった写真
【知らなきゃ事件】①  上野駅には昭和60(1985)年秋まで気動車が日常的に出入りしておりましたが、数回 「火事だ!」 と、見ると気動車。  先日の信号炎管より少ないとは言え、排煙は出ますね発動機で走るものですから。  新幹線開業後で気動車が上野に来るのが確かに不似合ではあります。 ②へ
【信号炎管】  ここまで近く、鮮明に信号炎管動作を拝見したのは初めてです。  2023年3月25日16時36分頃、武蔵野線北朝霞駅西行線を通過中の貨物(単機回送EF210-150機)に旅客が接触(転落?)し負傷した事故は17時33分に抑止解除となりましたが、最近は信号炎管を使用しない事も多くて..勉強になります! twitter.com/cutting_mahiru…
【28年】①  阪神大震災から数ヶ月、連日復旧のニュースが流れて近所の小学校の桜が開き出した頃だった。  休みでのんびりしいていた所に 「地下鉄駅でガス爆発」 と言うニュース..  営団には仲間が複数勤めていたが、携帯電話普及前の時代で確認の取り様もなく、唯報道を見守るだけ。 ②へ
【分相応の気概】  上野駅案内所勤務時代、繁忙期に自由席行列が長々となった時間帯に高齢男性が、臨時の奥羽急行は無いかとお尋ねになった事がある。 「寝台特急なら残席がございます」 「いゃそんな立派なモンは」  立身出世の証だった特急での帰省、分相応の気概が生きていた時代だった。
【3•14上野駅大変身】①  昭和60(1985)年3月13日深夜、国鉄上野駅は史上空前の大騒ぎに。  翌日どころか数時間後に新幹線開業を控えて、駅長も徹夜で調整と確認。  中央改札脇の案内所も数日前に新箱へ移りまして、改札上木札も23時半頃には撤去。  駅全体が工事現場となった38年前の今頃。 ②へ
【上尾暴動50年】  昭和48(1973)年3月13日朝、動労の遵法闘争で遅延していた高崎線上尾駅で旅客満載の為に発車が出来ずにいた165系12両の普通列車2本抑止に旅客が激昂し首都圏広域で混乱となる事件が発生..  問題点として急行と共用していた165系が指摘されますが連日遅延で不満が蓄積していた訳で..
【列車暖房】①  列車の暖房は鉄道創業時に考慮外で、北海道•東北などではストーブが据付けられたが、明治後半になって機関車の蒸気を客車に引込んだ蒸気暖房が普及してようやく 「暖かい汽車」 が実現する。  黙っていて零下20度。  走行する列車は風を受けるのでもっと冷える。 ②へ
【人身事故とホームドア】①  国鉄時代の上野駅は流動70万/日で、それこそ人身事故は定例発生したが、その7割は事故。  未だ暖かい「一部」を「救出」する事態は年に数回程度で、多くは酔客の列車接触や過混雑•貧血転倒での旅客負傷。  担架を担ぐ事が所定業務で、事故後食事も所定だった。 ②へ
【あのですね】 御批判覚悟で...実は私、特急車を特急券なしで団体専用臨時列車として仕立てたことがあるんですよ.. しかも幾度も.. だってマル販出たし、営業事故補償としての企画や、潰れた他団体の埋め合わせだったりしたし.. 車掌さんも団券見ないし.. 本当にごめんなさい (結果現行の半額以下)
【時代背景が鍵】①  石川さゆりさん歌う津軽海峡冬景色に登場する上野発の夜行列車、あれはズバリ 23時20分発急行205列車•十和田5号。  理由は2つ。  竜飛岬が青函下り便船内から見えるには、午後便で太陽が西となり影にでもならなければ位置すら判らない。  太陽は6時〜16時半しか出ない。 ②へ
【未曾有への挑戦】  特急のボンネット仕様、単にデザインでこうなったもの。  速度100km/h以上は理論値として可能でも、実際はその巡航速度で長距離を走るなど未曾有だった訳で、非常用発電機と共に踏切事故の際の防御と、高運転室で視認性向上を図る目的で前照灯の大増設を併せてこうなったもの。
【訃報】  新旧の地図を比較して閲覧できる『今昔マップ』の開発者である埼玉大学教育学部人文地理学研究室教授・谷謙二さんが急逝されました。  深く深く御礼と共に御冥福を御祈念申し上げます。 ktgis.net/kjmapw/
【信号所】  おとぎ電車、などでは無くて本気の地域交通輸送を感じて感動した西武山口線。  軌間762mmけーびん。  しかし蒸機も客車も本物で、通票を交わす職員の表情は真剣だった。  幾度か通ったこの路線は夏が似合っていると思ったのは、汗だくの鉄道屋達に人生を学んだからと思っている。
【暖房の蒸気】  北海道・根室本線で撮った急行417列車『狩勝7号』、暖房で湯気が出てますが、1981年8月の撮影です。  道内夜行で暖房を入れないのは年間1週間程度と聞いた翌朝の光景で、確かに白糠は肌寒い朝でした。  そんな厳しい気候に生きる人々は、日々戦いで日々勝者と痛感した夏の記憶。