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そうして仕事とかマネタイズしないと、まるで夢破れ、何者にもなれなかった人のように語られる。馬鹿か。何者かである人間などどこにもいない。せっかく楽しんでいるものを、いちいち仕事に結びつけようとするな。そうやってなんでも仕事という概念に押し込めようとするのは、貧しい
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「そのやりたいこととか好きなことを仕事にすればいい」と他人は言う。しかし待ってほしい。なんでそうやってなんでもかんでも「仕事」にせずにいられないのだ。お話を書く? なら作家に! ゲーム? プロゲーマーの道もありますよ! いつもこんな調子ではないか
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仕事に行きたくない。本当に行きたくない。だからといって、じゃあどんな仕事がしたいんだと訊かれても「そもそもどんな仕事もしたくない」というのが答である。ずっと本を読んで映画を観てゲームをしていたい。お腹が空いたらパスタを茹でたい。音楽をかけてお話を書きたい。それだけである
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そろそろバズと呼んでいいくらいに伸びたので言っておくんだけど、私はFFの親しい20~30人に対して言ってるのであって、引用RTとかしてる人々を想定してるわけではない。だから反証も肯定も意見もいただかなくて結構だし、どこのどなたか存じ上げない人に口を出されても良い印象は抱かない
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じゃあなんでそんなに余裕がない状況になったのか、というと、突き詰めれば政治の失敗、経済の失敗。個人の努力の問題ではないし、そうだと言う人間は視野が狭すぎる。国全体が地盤沈下を起こしていて、誰もがすぐにすがれるものを欲しがっている。藁を掴んで助かったと思い込みたいのだ
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Twitterで漫画がバズる理由、ラノベのタイトルがやたらと長い理由、ユーチューブの動画サムネがカラフルな文字まみれな理由、ぜんぶ同じ。「わかりやすい」から。逆に言えばこの国の人々は「わかりやすいもの」しか評価できなくなっているから。「わかりにくいもの」に向き合う余裕がないから
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時間的にも経済的にも、「わかりにくいもの」にじっくり取り組むのは至難になりつつある。創作において「わかりやすさ」や「伝わりやすさ」が大義名分になっているのも、それが作品として優れているからではなく、評価されやすいから。作り手だけでなく消費者側にも大いに問題がある