東京に比べ大阪の投稿が少ない気がしたので再度。 ヨドバシ梅田前には100名が集まったそうです。 胸に迫る学生さんのスピーチ、帰宅途中の群衆に向け「胸にSDGsバッチをつけてる皆さん!聞いてください!」と。ほんまそれ。 #入管法改悪反対 #入管法改悪法案は廃案一択 #入管法の改悪に反対する大集会 twitter.com/hitomicubana/s…
差し入れで思い出したんですけど、家族5人が感染し自宅療養していたナイツ塙さんが、復帰後のラジオで「体温計の電池が切れて困った」と言っていて。それを参考に、弟家族の差し入れには新品の体温計とパルスオキシメーターの予備電池も入れておきました。ほんと、色んな方の体験談に助けられた。
今回、両親への差し入れと弟家族への差し入れ、かなり多めに用意したこともあり、支出は5万を超えた。何枚もの長いレシートを見ながら「これが自助か…」と思いましたね。周りに助けてくれる人がいなければ、例え軽症であってもすごく心細いと思う。皆さんも、気をつけながら備えてください。
日頃からSNSで自宅療養の方々の経験やアドバイスを読んでいたから。なので、私もここに記録しておくことにした。焦って急にネット検索しちゃうとネガティブな情報ばかり見ていたかもしれない。日頃からのイメトレと準備は大切。ちなみに、弟への支援物資にパルスオキシメーターはなかった。→
電話の母の声も生き生きしていた。まだ弟家族の方が心配だけれど、1番ハイリスクな両親が回復したことで気は楽になった。私も週末、疲れから微熱が出てたから今週は無理せずぼちぼち行こうと思う。こうやって振り返るだけでも、まだ心臓がギュッと掴まれる感じがする。この10日間を乗り切れたのは、→
この病院は母のことも気にかけてくれ、本当によくして頂いた。父も、母の話を聞いてもらえるだけで安心できたと思う。母の熱も下がり、両親ともに咳き込む程度になった。ただ、全員に倦怠感が出ていて、スッキリ元気とはいかない感じ。そして今朝、無事に父が退院し実家に戻りました。→
近所で電話診療してる医院を教えてもらう。入院から8日目、やっと父に保健所から電話が入った。発症日が決まり、退院の日に自宅療養解除となった。母も同じ日程だろうとのこと。退院後、父がかかりつけ医院の診療をスムーズに受けられるよう担当医が手紙を書いてくれた。→
翌日、母が再び発熱と頭痛。弟家族も一進一退。2歳の姪っ子は中耳炎になり、大人は嗅覚障害も。甥っ子のかかりつけ医が電話診療で薬を処方してくれているそう。次の日も母の具合が悪いので再び自宅待機SOSに電話。今度はつながり、調べてもらうと母のコロナ発生届はまだ登録されていなかった。→
入院から5日目、順調に回復していた父の退院日が4日後に決まる。母の陽性連絡もやっと来た。私も少し余裕ができたので、当面の人と会う約束にキャンセルの連絡を入れる。そして自分たちが感染した時のために市販薬や食料を買い込んだ。夜、栄養つけようとレトルトのサムゲタンを煮込んで食べる。→
山のように買い物してキャリーバッグに詰める。荷造りだけ見たらメキシコに旅行する人みたいになった。電車とタクシーを乗り継いで、弟宅の玄関前に目立たないようコソコソと置く。ちなみに弟は隣の市に住んでおり、翌日には保健所から連絡が来て家族4人分の支援物資もすぐに届いた。→
なので、後は毎日LINEで弟家族の様子を聞き、それを両親に電話で伝え、両親の様子を弟たちに報告する、を繰り返した。 母の検査結果が4日経っても出ず、完全な自宅放置になっていたので大阪府の自宅待機SOSに電話。しかしこの日はつながらなかった。当然、保健所からも連絡はなく不安そうな母。→
その翌朝、弟家族の残り3人も発症。甥っ子のかかりつけ医師が電話で問診、検査なしで確定する「みなし陽性」となった。弟から「食料を届けて」と連絡あり。母への差し入れをリスト化しいたので同じものを用意、買ったばかりの消毒液にパルスオキシメーター、子ども用のゼリー飲料やレトルトなど、→
このころ、私は気を抜くと勝手に涙が出る状態で「やばいな」と感じる。このままでは自分も参ってしまう。ちょうど見ていたネトフリのクィア・アイで、「目の前の人があなたより大変な状況だからって、自分を後回しにしたり、癒されることに罪悪感を覚えてはいけない」と言ってる場面があり、→
私も自分の時間を持とうと、翌日、両親の具合が落ち着いていたこともあり、前から楽しみにしていた予定に出かけた。人と会ったりマスクを外したりしないこと、直前まで両親が安定しており、出先でも連絡が取れることから思い切って行った。おかげで気力が回復し、以降涙が出ることはなかった。→
父は個室でいつでも電話OKなので母としょっちゅう連絡を取り合い、医師にも相談していたそう。「自分の代わりに母を入院させたい」と言っていた。基礎疾患のある父は医師から「いつ急変するかわかりません」と言われ指にパルスオキシメーター付けっぱなしとのこと。そして甥っ子の陽性が確定。→
翌日、母が少し食べられるようになったので、Twitter検索で各自治体の支援物資を参照し、レトルト食品やパックごはん、ゼリーにカップスープなど調理しなくて済む食料数日分と、ティッシュなどの日用品を玄関前に置く。父は睡眠導入剤を出してもらい数時間眠れたと。2人とも電話でずっと咳き込んでる→
チャリで実家に荷物を運び、玄関前に置く。中で母が1人で苦しんでるのに、直接看病できないのがつらい。帰りに父の入院セットを買い、病院へ郵送(持込みは禁止)。自分も寝不足なのでへとへとだが、弟から3歳の甥っ子が発熱しPCR受けたと連絡。弟家族全滅も考え、消毒液とパルスオキシメーター注文→
大量のポカリ、汗ふきシートにアルコール消毒液のパストリーゼ、喉が痛くても食べやすいアイス、ヨーグルト、カステラなど準備。以前から自宅療養に備え、SNSで経験者の発信を読んでいたので必要なものはすぐイメージできた。特にTwitterで知った喉に貼るトローチは両親ともに「効く」と好評。→
母に電話、聞いた事のないガサガサ声。夜遅かったため、翌日に必要なものを届けるから早く寝てと伝える。父にも電話。父の方がまだ熱が低く受け答えもしっかり。とにかく母のことを心配していた。弟たちにも電話し状況を説明。大阪市の現状から母は自宅放置になると思い、必要なものを考えつつ寝る。→
まぁ眠れるわけもなく、朝になりすぐ母に連絡。返事が来て安堵する。父も母も点滴効果で熱はマシだが咳がひどく眠れなかったそう。母は病院から薬の処方なし。すぐに喉と熱の市販薬を買い込み、昨年第5波の時に買ったパルスオキシメーターとゼリー飲料、あと父が搬送時に脱水症状だったと聞いたので→
ここで父の病院から私に電話があり、入院を知る。医師が父は軽症であること、基礎疾患があるため治験薬を使ってもいいかどうか、今後急変したら酸素吸入やエクモを使っていいか、こちらを気遣いながらゆっくり説明してくれた。おかげで落ち着いて聞けた。そこで初めて母も搬送されたことを知る。→
母の受け入れ先は1人しか無理とのことで、父は次の救急車を待って別の病院へ。救急隊員から「入院はできないと思います」と言われる。PCR検査で陽性、1時間点滴を受けてる間にたまたまベッドが空き運良く入院できることに。一方、母はPCRの結果が数日後になると言われ、点滴後、深夜0時に1人で帰宅。→
実は10日ほど前、両親がコロナ発症し父が入院、数日後に弟家族4人も発症しました。父と弟は大阪の教師なので覚悟してたけど一気に来た。父によると、母が急に39度以上の発熱、父(基礎疾患あり)も発熱したため、大阪市の保健所に電話するも全くつながらす。夜にやむなく119番。40分後に救急車到着。→