実話を知ってる旧エニックス関係者は突っ込みどころ満載だったと思うけど、当時のDQスタッフがあのゲームにかけた夢はよく再現されてた。あれは嘘ではない。 ちなみに本物のすぎやま先生は、ドラマのような喋り方ではなく、もっとキビキビとした江戸っ子口調でした。 #すぎやまこういち物語
ドラクエ序曲は五分で創ったというのは誇張ではない。実際、自分も目の前で46億年物語のガイアのテーマを1分で創っていただいた。 #すぎやまこういち物語
ちなみに、その後、一緒に仕事をさせていただいた小説家の大沢在昌氏や宮部みゆき氏も同じような事を仰ってた。特に宮部氏はゲーム業界人よりもゲームというメディアの事をよく理解されてた。当時、ゼルダの伝説をプレイした事がない大沢氏に宮部氏と「人生の半分損している」とちゃかした記憶あり。w
すぎやま先生に気に入っていただいたPC版46億年物語のゲームシステムだったが、実は意外な事にこのゲームを担当してくれたプログラマーさん(ゲーマー)は「こんなのRPGじゃない」と最後まで否定的だった。たぶん彼はDQタイプのシステムがRPGの王道だと信じ込んでいたようだ。
すぎやま先生にはダメ元で曲の依頼をしたが、企画内容を説明したら快諾してもらった。その理由は氏が進化論や恐竜が大好きだったという事と、進化論をRPGで語るという事にいたく興味を持っていただいたから。氏はゲームシステムもこの物語に合っていると楽しんでもらった。
ただ、進化論だけでは弱いので、それにガイア(地球自体)の物語もプラスしたSF(サイエンスファンタジー)とした。それに伴いタイトルも35億年物語から46億年物語に変更した。で、販売結果だが嬉しい事にヒットした。その大きな要因にすぎやまこういち氏に曲を担当していただいたというのもあった。
そのSF作家さんと一緒に創ったのがPC版『46億年物語』 進化論を一つのファンタジーと捉えてRPGという方法で語った作品。当時RPGは剣と魔法の世界が主流だったのでかなり尖ったものだった。当時のエ◯ックス内部でも、一部の社員からそんな学校のお勉強みたいなゲームなんか売れないよと言われた 続く twitter.com/hirano_buncho/…
SFCではなくFCの間違いでした。
SFCのドラクエが出た時、当時お付き合いしてた某SF作家さんがDQにハマり、その理由をこう言ってた記憶がある。『物語をああいう方法で語ることが出来る事に驚いた。小説でも映画でも出来ない事だ』と。その衝撃は当時のゲーム業界人以上に大きかったらしく日本SF大賞に推薦したぐらいだったそうな。
アクトレイザーの権利関係ってどうなってるんだろう?クインテットとの絡みは? 関係ないけどSFC版アクトレイザーのパッケージイラストの茶髪の男はハリソンフォードがモデル。なんで知ってるのかって?パッケージデザインの担当は私だったので。w
【補足】 宮崎駿氏にゲームの事で叱られたのは30数年前の話。(魔女宅の後ぐらい) それから20年後、飯田さんのお葬式の会食の席で氏が目の前に座られたので、その時の事をお話ししたら、「それは申し訳ない事をしました」と謝られ逆に恐縮するという。ちなみに氏はもう今はゲームは否定してません。
飯田さんも森さんも残念ながら逝去された。若すぎる死だった。 WPJはそういう素晴らしい人達の協力なくしてはこの世に生まれなかった。WPJはかなり昔の作品だ。それでも今でも覚えてくださり応援してくださる人達がいる事は彼らもきっと喜んでくれてるだろう…と私は(勝手に)思っている。
正直、森さんにはかなり無理を言った。でもいつもニコニコしてそれに応えてくれた。ちなみにサーカスイベントでピーノがまばらな拍手から喝采を受けるシーンは森さんのアイデア。
WPJの曲入れになった時、早速森さんに参加してもらった。彼は元々東京学芸大出身で子どもの教育に関心があったのでWPJの内容に興味を持ってくれた。彼は私の説明も良く理解してくれこちらの要望に見事に答えてくれた。それはWPJの楽曲を聴けば誰もが納得してくれるだろう。
あとWPJで忘れていけないのは楽曲を提供してくれた森彰彦氏。彼は当時私が所属していたギブロ(旧名アルマニック)で制作してた他のゲームの曲で知った。それは普通のゲーム音楽とは一線を画し、その情緒深さと物語性が心に引っかかり、この人といつか仕事をしてみたいと思った。
WPJは飯田さんを始めアニメスタッフの協力なしにはあり得なかった。ちなみにJ2の山下明彦さんも飯田さんのお友達。今では当たり前になったけど、ゲーム業界以外の業種との共同制作は当時(30年前)の自分にとって大変勉強になった。
レイアウト(画面設計)は、自分が描いたラフデザを飯田さんがアイデアを出しながら作り上げてくれた。彼の引き出しは多く創作者は知識の豊富さが重要である事を痛感させられた。同時に当時の宮崎氏の考え方や仕事振りを間接的に聞かせてもらい大変勉強になった。
WPJはよくジブリ調と言われるけど、実は昭和30年代の東映動画がモデル。(若き宮崎駿氏が在籍してた)その証拠はオープニングシーンのコルロ城。あれ「長靴をはいた猫」に出てくる城のオマージュ。キャラデザの川元氏も飯田さんの説明でその事を理解し、それ風のキャラデザインをしてもらった。
そして彼にいろいろ相談した。ゲームの世界観は宮崎駿調というより昔の東映動画風にしたいと。彼は直ぐに理解してくれた。あとアニメスタッフも飯田さんの知り合いのアニメーターに参加してもらった。理由は予算がなかったので、飯田さんのお友達料金がきいたからだ。
宮崎氏に合わせてくれたのは氏の弟子だった故・飯田馬之助さん。その時はあまり彼とは面識はなかったけど、宮崎氏に叱られ酷く落ち込んだ自分を励ましてくれた。その後、彼とは数年会うことがなかったが、WPJのグラフィックをアニメ調にしようと考えた時、直ぐに頭に浮かんだのは彼だった。
ワンダープロジェクトJを企画した一番の原動力は宮崎駿氏にお会いした時に開口一番ゲームの事を批判され叱られた事かなぁ。命を記号化した遊びを遊ぶ人間やそれを作る人間の気がしれないって。凄く落ち込んだけど、ならばその逆のゲームをいつか作ってやるという気持ちがモチベーションになったっけ。
ワンダープロジェクトJがトレンド入りしていてビックリ!なんでも朝のzipという番組でジャニーズの風間くんというタレントさんが紹介してくれたそうな。もう四半世紀も前のゲームというのに。ありがたい事です。