これを、中学生のわたしに、強く、言い聞かせてほしかった。
ほんとうに、犬は、わたしはむかしハスキーを飼っていて、本気を出せばわたしなんて簡単に噛み殺せる犬が、おかえりおかえりって、毎日帰ってくるのに、毎日ほんとうにうれしそうにお出迎えしてくれて、ねぇほんとうに、大好きだよ。おまえはその5億倍わたしのことが大好きでいてくれて、ありがとう。
いま煮物をつくってて気付いたけど、わたしは「アクを取る」という行為の「アク」がよくわかっていない。よし、アクを取るぞと思いながら、ただじぶんがなんか嫌だなと思うなにかをすくって捨てている。
シャンプーマッサージしてもらってリラックスして、もう天国、最高ですよ…と穏やかに感謝していたところで、美容師さんが「TikTokなどを見ていると、若者たちの顔面が全員美しい。しかし街を歩いていても、特に美しい若者は存在しない」と言い出して、めちゃくちゃに精神が盛り上がってしまった。
リマ症候群はストックホルム症候群と逆で、犯人が人質に対して特別な感情を持つものらしいんだけだけど、元になった事件、教育格差とかのことを考えてしまってかなしい。
これやってみたら、きのう夕方から午前2じまで寝て、きょうの朝6じから11じくらいまで寝て、11じから14じまで寝て、もう暗い部屋のハンモックを想像するのがこわくなった。 news.yahoo.co.jp/articles/f00c6…
親戚付き合い、苦手というか、しごとでもないのになんで無理に礼を尽くして関係をしなきゃいけないんだ?とよくわからずにずっとやっていなかったけど、地震とかあって、なんかそういう無償でただ思いで支えあうということは、やりたいやりたくないではなく、やるべきなんじゃないかと思い、
車駐車しようとしたら、ねこがあらわれて、車にすりすりしようとしてくるので、降りてあぶないよ~~てねこを手で押したら、あらゴロンですか?できますよてゴロンするので、ちがくて~てもっと押したら、ナデナデですか?わたしナデナデだぁいすきっておなかを見せてきて、話にならなかった。
爪を切られたねこがふてくれされてるけど、家族に「木に登るわけでもないくせに」「ケンカする度胸もないくせに」「爪なんか使わんどが」と全否定されている。
かっこいいのが奇数で、やさしいのが偶数だよ。
アイドルが結婚したりして、金返せて言ってるひとに、じゃぁあのときのさいこうに楽しくてしあわせだった気持ちを、あんたは返せるの?て言い返してるひとがいて、ほんとにそうよね。そのときうれしくてしあわせで最高だった、それをもらったというきもちだけで、充分だよ。
おおきないぬとおおきなねこと暮らしたい。虫が出ない田舎の一軒家に住みたい。頭よくなりたい。地震をやめさせたい。泣かないでほしい。ぜんぶの映画見たい。悲しんでるひとがいたらなぐさめたい。ひとにやさしくしたい。もっとできたい。2兆円ほしい。快適な温度下で暮らしたい。みんな幸せがいい。
若いとき、お付き合いしてたひとに別れを告げられて、お願いぜったいに嫌だ別れないでって泣いて頼んだけどダメで、あのとき「あ〜なるほど、じぶんがひとりで決めれること以外は思い通りにはならないんだな〜」て知って、それから諦めがよくなったので、あれは恋愛というか教育だったのかもしれない。
森さんがメソメソして、川淵さんがおきもち、無駄には致しませぬぞ!て勇んで立ち上がったということが、ありましたとさ、という話を、我々は、聞かされただけということか!じいさんたちの友情を、見せつけられた、だけということ!これぞ、無!!!
じぶんの浅い考えとか、上っ面の行動とか、それをこんなにも正面から受け入れてくれてありがとうと思い、わたしはこれからも、これに関しては「がんばる」を続けるね、と思った。そういうのも、人生の一部なんだと思った。
「好きなことして収益を得る」て、勝手なことを言うな。わたしの好きなことは、隙間に挟まって「おれは運河に挟まって身動きが取れなくなっためちゃくちゃにデカい船…」と思うことだが、これで収益を??夢ばっかり見させないでよ!
きょう、叔母に「ねじまきは、大人になりすぎなくらい、大人になった」と言われて、年下のいとこに「いつもまっすぐにやさしくしてくれて、ありがとう」と言われて、わたしはどっちも、無理をしてやっていたんだけど、それを、きちんとみんな受け止めてくれているんだって、思って、
メガネやさんで「ネジをしめてもらえますか?」と頼むところまではめちゃ元気だったのに、店員さんにメガネを渡して裸眼になると世界のすべてがこわくなり、椅子に座ってしょんぼりと俯きながら時間が経つのを待ち、完了してメガネを返してもらったらまた元気になった。
映画見てて「この犬は何回も何回も繁殖させられた犬です。にんげんに虐待される犬は、さいしょに心を無くします。心がなければ、つらくないから」と言っているのを見て、へぇと思ってただけのつもりだったのに、体の奥から嗚咽が湧き出てきて、ウウッウウ…て音を出しながら号泣してしまった。
ニシキヘビのスレで、「ぜったいアパートの中にいるから、もっと探せ!屋根裏とか!」と言ってるひとがいて、ニュースを見るたびに「ありえる、もっとアパートを探すべき」と思ってたから、あのひとが「だから言っただろ。フフン」とうれしいきもちでビールなどを飲んでいたらいいなと思う。
ここ何年か、向かない気持ちを奮い立たせて「動け!動くんだ!」とじぶんを鼓舞して、集まりに出たり、季節のあいさつをして、年上を敬い、年下をかわいがり、とにかくわたしは無理をしてがんばってそれをやってたんだけど、
マストドンは狭いから、広大な無に向かって話してる感じがしないから嫌だよ。壁に向かって話してる感じ。ツイッターは無限に広がる虚無。
きょう散歩してたら、ねこがいて、にゃーにゃー鳴いてるから「えぇ〜なぁに〜?」「どちたの〜ん〜?なんでちゅか〜」て話しかけてたら、恋人のねこがやってきて、ねこは恋人を呼んでいただけで、わたしは、だいぶの邪魔者で、立ち去った。
実家の縁側に寝転がって、カラスがいちばん高い木にとまったり、ツバメが巣を作ってるのを眺めながら、「あー、ずっとこうしていたい」て言ったら、いっしょに縁側で編み物をしていたおかあさんが「飽きるよ〜」て笑いながら言って、そうだった、だからわたしは、ここにいないんだって、人生を感じた。
ツイッターで今なにが起こってるのかよくわからなくなって、ツイッターで「ツイッター」て検索した。