どうして日本では、「私は自分に都合のいいように“正しさ”を変えるけど、お前らは駄目」」という「厚かましい思考回路」が生まれないのか。「ルールメイカーになれないのか」――いままで誰も書かなかった「本当のこと」を書いたnoteです。気になっていた方はぜひ読んで下さい note.com/niwakaha/n/n45…
「なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか」みたいな問いに、「外国は高い理念があってルールを運用しているだけだ。別に日本を困らせる意図などはない。低い視点から文句いうから日本はだめだ」みたいな欧米コンプレックス丸出しのことを言う人もる。もちろん、この手の論者も的外れです。ではなぜか
だから「欧米はずるいよな。負けそうになるとルールを変えて」やらいわれる。 だが従来よくあったような批判、「日本人はルールを守るのが得意なだけだ。ルールを作り出す発想力がない」とかはすべて的はずれなのだ。そうではない。わかってしまえば「ああ」と思う単純な理由があるのだ。
これは貿易から軍事、自動車の規制、スポーツの分野のルールでもそうだ。一定の決まったルールを設定し、それで日本などそのルールのなかで、強くなってくると、すぐにルールを変えてしまう。「私達はルールを恣意的に運用してうまい汁を吸うが、お前らは駄目」である。
ウクライナ侵攻をうけて、ドイツのあの「正しさ」の総本山のような「緑の党」までもが、「石炭火力フル稼働じゃ!」になってしまった。かつての「緑の党」が熱心に訴えた脱石炭はどうなったのか? 貧しさに耐えても信念を貫かないのか?日本のことを「石炭火力依存」と批判していたのはどうなったの?
「風が吹けば桶屋が儲かる」というが、現代では「風が吹かないと脱原発が吹き飛び、原子力がクリーンエネルギーになる」というわけだ。だが、これ実は「面の皮の厚さ」と思うのは日本人特有の思考回路に陥っているであって、彼らにとっては「空気」なのだ。なぜそうなるのか書いてみたnoteです。
ちょっと前まで、彼らの尻馬にのったリベラルたちが、「原発は悪!」「日本は遅れているぞ!」みたいな感じだったのに、欧州のこの「厚かましさ」の正体とは、なんなんだろう。要するにこれもまた「私は自分に都合のいいように“正しさ”を変えるけど、お前らは駄目」という態度であろう。
別に韓国に限らず、欧米も同様だ。自分たちが「正しさ」のルールを設定しておきながら、欧州で風が吹かないで電力需給が逼迫するとや、手のひらクルーで、「原子力発電もクリーンエネルギーだ!」とかいいはじめてしまったのは記憶に新しい。
つまりBTSとは「私達が、アジア系(日本人)のヘイトするのはOKだが、おまえらはアジア系(主に韓国)のヘイトはするなよ。これが多様性だゾ」というわけだ。どうして世界はこのように、「正しさ」を都合よく恣意的に運用する人たちであふれているのだろうか。
ちなみに例のあのサイモン・ヴィーゼンタールセンターも、「原爆被害者をあざけるTシャツの着用は、過去をあざけるこのグループの最新の事例にすぎない」とBTSを認定したことがあるですよね、これ。そういう人たちです。
BTSが、ホワイトハウスでバイデン大統領と会談し、「アジア人へのヘイトクライムはやめましょう!」と訴えて「原爆バンザイTシャツを着ていた人たちが、どうしてアジア人差別について語れるのか不思議」「なんてジョークだ」などと呆然する空気となった。
「世界の中心で多様性を叫んだケモノ」|丹羽薫ちゃん note.com/niwakaha/n/n45… 「欧米はずるいよな。負けそうになるとルールを変えて」という声はよくありますが、なぜ彼らは、それができるのか。反対に「なぜ日本はルールメーカーになれないのか」――貴方のモヤモヤをスッキリさせるnoteです。
小田嶋隆さんなくなりましたね。ツイッターはじめたころ、彼が「白虎隊、ひめゆり部隊、爆弾三勇士もみんな無駄死」とかいっていたから、「無駄死の判断基準はなんですか?」ときいたらブロックされたんですよね。人の死の意味を勝手に外野が毀損するのはよくないと思います。お悔やみ申し上げます。
白井聡氏って、熱心な「制限選挙論者」として知られていて、「(アベを選ぶような)愚民どもから選挙権をとりあげろ!」とか主張しているのですが、そういう人間がこういう頭の悪そうな数字の比較にころりと騙されるのを見ていると真っ先に選挙権取り上げるべきは白井氏ではないですか?
政治学者の白井聡氏って、「安倍の辞任表明で泣いたユーミンは早く氏んだほうがい」発言で話題沸騰した人なんですけど、こんな雑多な数字を並べた稚拙な印象操作でも結論が「日本はだから駄目なんだ」みたいなものには簡単にのってしまうのをみると知性ってなんなんだろうなあ、と思いますね twitter.com/shirai_satoshi…
シュナムルさんが、たかが韓国BTSの原爆万歳Tシャツを擁護しようと、ついには、ぼろぼろになって原爆肯定論までおっぱじめたように、フェミ騎士はフェミを擁護しようとサイゼリアまで「貧しい」とかいって叩くようになってしまいましたか。 twitter.com/rudolph_zenda/…
日本のリベラルはずっと「天皇のために死ぬな!」「安倍に戦争させられる」とか、「何かのために戦う」を、ひたすら国家権力の洗脳みたいにいってきたのですが、ウクライナが教えてくれるのは、戦うってことは愛する人、家族、そして故郷を守るって当たり前の話ですよ。洗脳してたのはリベラルだった
ブチャでは無辜の人々が後ろ手縛りで殺されたり、占領地の住民が大量に連れ去られたり、女性はレイプされ殺されてるわけで、「 命よりも大切なものはない!戦って死ぬな!」みたいに吠えられても、共同体を守るため戦う人がいなくなったら、今のウクライナはどうなっていることか、って話ですよね
これ、こういう「戦うな。生命に勝る価値はない」っていわれても、そもそもウクライナの人々は、自分の家族や愛する人達、そして故郷のために戦っているんですね。別にゼレンスキーの権力を守るために死んでいるわけでもないのに、これってウクライナの人々への侮辱的な言説ですらある。 twitter.com/hashimoto_lo/s…
「確かに彼らのやっていたことは許せないことだが、私達の青春時代の思いは決して理解できないものだろうか?今の若者に感じてほしい」とノスタルジーを全面に共感してほしそうに、こちらを見てくる素振り――このキモチワルイ態度はなんなのか、その正体スッキリさせるnoteです note.com/niwakaha/n/nee…
なぜリベラルは「私はいいけどお前はだめ」という態度をとるのか。左派の二重基準の基盤が、どこから発生しているのか、彼らの「青春」の原体験にある。そしてそれにしがみつくことにある、その正体を明らかにしてみました。これからのリベラルの行動全てに共通する意味空間について書いています
リベラルの「私はいいけどお前はダメ」という態度、実は「リベラルは頭が悪いから論理的な整合性がとれない」とか、あるいは「リベラルは正義に酔ってるから独善的で、フェアネスな思考ができない」とかそういう見方では理解することができないのです。
所詮、日本赤軍など、赤軍派から分離した小さなセクトにすぎないが、彼らは当時、海外旅行など一般的ではない時代に中東の民族解放運動に参加したわけである。なぜ彼らがある種のマスコミ左派言論人にとって特別な憧憬の対象になってしまったのか、その幼児性、わかりやすく書いてみました。
リベラルといえば70年以上前の「罪」にネチネチ粘着する。「それぞれの正義があった」的に語ろうとすると、「悪しき相対主義を捨てろ」だのいいながら、一切の言い分を認めず、悪に温情をかけるなと糾弾するのが常ではないか。 だが戦争の美化はいけないが、テロリズムの美化はいいらしい
このようにマスコミは、「当時の彼らは権力への怒りがあった!」とか日本赤軍を契機に、「彼らのやったことは間違っていた(責任回避)かもしれないが、様々な見方があるんですよ。ほらほら、理解しましょうよ。それぞれの立場を」と言い出してしまった。朝日新聞なんかも同様だ。