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お休みの日なのでちょっと。よく「稼げる大学」とか「稼げる美術館」とか最近聞きますけど、あれ、自分的にはものすごく違和感があるんですよ。というのも、たとえば「稼げる消防署」とか「稼げる警察」とか、まず考えられないじゃないですか。それは消防も警察も、稼ぐより大事な使命があるからで。
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あのね。もしここで外国人を給付対象から外したら、日本は世界中から非人道的な国、滞在したり済んだりするのは危険な国、というレッテルを貼られますよ。そしたらもう口が裂けても「おもてなし」だの「インバウンド」だの言えなくなる。オリンピックなんか夢のまた夢だよ。
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美大はお遊び発言で思ったんですけどね。そうやってビジネスの中から躍起になって「お遊び」要素を排除して「役に立つもの」だけ残した結果が、今の日本経済の惨状の原因なんじゃないかな。製品が楽しくない、お店が楽しくない、宣伝も楽しくない、職場も楽しくない。だから売れない、魅力がない。
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大学も博物館も、まずは教育と研究の機関なので、稼ぐのは二の次、三の次でないとまずいと思うんですよ、本来なら。稼ぐのは本来は民間企業の仕事じゃないですか。大学の先生や学芸員の皆さんがお金儲けの算段ばっかりやってるって、私には非常におかしな光景に見えるんですけどね。
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これはまあ蛇足ですが、たとえば「これからは稼げる小学校でないと!」とか誰かが言いだしたら、かなり異様に感じませんか。それが大学や社会教育施設だとまかり通ってしまうのって、今の日本社会が相当歪んでる証拠だと思うんですけどね。どうでしょう?
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なので、実物教育とか保存とか修復とか、そういうことは基本的な我々のミッションからはややズレてて、美術館や大学にお願いせざるを得ない。なのにそこが「稼げる」方向に舵を切っちゃうと、そこは一体誰がやるんだ、と。そんなふうに思います。
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我々ギャラリーは逆にお金儲けが仕事なので、じゃんじゃん売って稼いで、作家を食わせていかんといけないわけで、「稼げるギャラリーになれ!」と言われたら、素直に「はーい」というわけですけど、逆に言うと基本は売るのが仕事なので、モノが何にも残らない。通過するだけなんですよね、我々。
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学問も行政もメディアも、日本社会のあらゆる分野で似たようなことが起こってるんじゃないかと思う。楽しいこと、遊びの部分を必死に追放して、全然楽しくないし誰も幸せにならないシステムが出来上がって、それでみんな満足してる。もっと楽しもうよ、と思うな。
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街路樹なんだから道路上にあるの当たり前じゃんね。維新は頭おかしいのかな。
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あ、なのでそういうわけですから、自分は「美大はお遊び」発言を特に批判しません。むしろ美大生、真剣にどんどん遊んだ方がいいと思う。遊ばない美大生なんか、美大生の風上にも置けないですよ。遊びなはれ。
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5)当方はこの木の前で店舗を営んでいるが、来客から一度たりとも木についての苦情を聞いたことはない
6)緑の少ない大阪で、なぜ木を切るのか。こうしたことをしてはいけない
おおまかに以上。先方の連絡先は下記。
大阪市建設局 野田工営所
06-6466-2192
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抗議のポイントをメモしておきます。
1)通しナンバーがなく、抗議や申し立てをしようにも場所の特定ができない
2)生えているものは「放置」とは言わない
3)根拠法には「堆積」とあるが、堆積している状態とは到底言えない
4)「市民の皆さんの迷惑」とは具体的にどのような迷惑なのか
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木下にはアジサイの茂みがあったのに、それも根こそぎにしてしまった。何のためにこんなことをするのだろう。
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#罠の戦争 、いや、かなり面白かったですよ。エルピスと半沢直樹のちょうど中間くらい、という感じの仕上がり。ミッドナイトスワンや大河であの繊細なお芝居を見せてくれた草彅剛さんが、今回はかなり振り切った、わかりやすいお芝居で攻めてるのも面白いです。これはたぶん毎週見ます。
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なので、またいまからお金稼ぐ仕事に戻ります。バリバリ売って儲けるぞ!笑
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生まれて初めて行政に抗議の電話をかけた。おかしいことはおかしい。
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朝起きたらたくさんの方がご覧くださったようで驚いています。ありがとうございます。是非、お店にもお越しください!
sunabagallery.com/index.html
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抗議した。まあ無駄だとは思うけど、蟷螂の斧。
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いや、最後の役者さんの激励、あれすごいリアリティ感じた。私はやってるのはドラマでも報道でもない美術という地味な畑だけど、似たような経験は何度かある。完全に絶望しそうになったとき、まったく予想外の人から応援をもらう。あれ、あるんだよな。人生の努力賞。
#エルピス
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まあ、はだしのゲンに限らず、大人が「あれ読むな、これ読むな」って言い出したら、大体それ面白い本ですよ。逆に私は昔、はだしのゲンなんか読みませんでした。大人が寄ってたかって褒めてたから、誰が読むかと。それがいま急にくさされるってのは、逆に「いま読む意義」が高まってるからでしょう。