kubo soichiro(@fuhkyo)さんの人気ツイート(新しい順)

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私は派遣業はなくなった方がいいと思ってるが、それはそれとして「なぜ派遣会社を利用する人がいるのか」はちゃんと考えないといけないと思う。同じ集落の養鶏場では「時給1500円でも人が来ない」と派遣を依頼してるが、結局来た人は会社にピンハネされた安い給料になってる。なんか不思議だ。
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本件、今日担任がうちに来て、担任から本人へ謝罪、保護者へは校長から謝罪、という対応になったと説明を受けました。声を上げてよかった。たくさんの方にコメントいただいており、全部に目を通しておりませんが概ね賛同いただき心強いです。ありがとうございます。
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(バズったので宣伝…ですが自分のではないです) 鹿児島で困っている人の支援を行っているNPOルネスかごしまが、シェルターを作ります。が、アテにしていた3000万円の補助金に落選。代表 @tanikatsu1 さんは「なんとかする」とのことですがご支援いただけますと幸いです。 renaisskagoshima.com
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体罰と見なされなかったとしても問題のある指導。いや、100%体罰ですけどね。
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今日、小学校で忘れ物をした罰として給食の量をすごく減らされた子がいる、と聞き、居ても立ってもいられず「それは学校教育法第11条が禁止する体罰です。是正と謝罪を」と学校に宛てた手紙を書きました。給食を食べるのは児童の当然の権利だし、そもそも空腹だったら午後の授業にも差し支えるし、(続
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本来なら喜ばしいはずの中学進学も祖父は「小学校を卒業すれば当然働かなければならない身なのにもかかわらずいつまでも遊んでけしからん」として家でも針の筵でした。さらに地域でも、財産を捨てた愚かな親の子としてバカにされていたのです。さらには中学進学で完全に村八分になったのです。
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「お前の父のせいでうちは無一文になった」と父への恨みを代わって受ける形となり、家族の中でも厄介者として育ちます。唯一芹澤に普通に接したのは祖母だけだったそうです。中学進学も当然認められることもなく、彼は親戚のツテを頼って支援してくれる人を探して進学。(続
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芹澤は、中学卒業後も進学し、結局帝国大学に入りますが、それら全ての学費は自ら支弁しており生家からは全くお金は出ていなかったようです。高文に受かって農商務省の官僚となった時、親戚が「これで故郷に錦が飾れるね」みたいに言ったそうですが、この言葉は芹澤にどんなに虚しく響いたでしょう。
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wikiに「生家は網元」とあるため「どーせ金持ちの坊ちゃんの甘えだろ」と誤解する人がいるようなので補足します。芹澤の家は網元でしたが、芹澤の父が天理教に入れ上げて財産の一切を無断で教会に寄付し、芹澤を捨てて伝道の生活に入ります。彼は祖父母と叔父夫婦に育てられましたが、(続く
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昨日、芹澤光治良の伝記を読んでたら「小学校を出たら漁師になるという村の不文律を犯し中学校に上がったので、村八分にされた」ってのにびっくり。彼を受け入れなかった村に後年芹澤記念館ができても、芹澤本人は微妙な気持ちでいたらしい。今記念館のサイト見たら村八分にしてたとは一言も書いてない
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私も、田中正造といえば足尾銅山鉱毒事件で戦った人、という認識でした。しかし、正造の真の戦いは、鉱毒をどうすることも出来ず、政治的手段が尽きた時に、自分自身のキャラを作りかえてまで村民に寄り添ったことです。この過程を描いた本書の後半には度肝を抜かれました。 shomotsushuyu.blogspot.com/2021/01/blog-p…
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な、なんじゃこれ…。効果が低調って、つまり観光客が少ないっていうことだと思うんだけど、それで認定を取り消すなら「遺産」でも何でもない。文化庁のやることとは思えん。 twitter.com/museumnews_jp/…