そもそも何で少子化になったかと言えば氷河期世代が若年だった頃のゼロ年代に企業優先の棄民政策みたいなことをやったからなのだが、公的政策で一番手を差し伸べないとならなかった氷河期が全く話題にも乗らず政治の失敗を反省もしていないところがもうあかんとしか言えない。
日本の中で世界の観光立国の様式として寧ろスタンダードで正しい作法なのが大阪の黒門市場や京都の一部の外国人観光客に特化したお土産屋であると言う解釈はできる
これなんよな…本当の観光立国は地元民や自国民ではない観光客だとわかると昼ごはんを1万円で売り付けるし、タクシーに乗れば遠回りをした挙句によくわからないお金やチップを請求し、路上でジュースを千円で売り、ホテルのチェックインではよくわからない保証金として客にカードを切らせたりする。 twitter.com/sousanusi/stat…
訪日外国人、ジャパンレールパスが日本の鉄道の標準運賃と考えている人が多くて気軽に新幹線に乗れだのJRの方が安いだの私鉄は高いから乗りたくないだの言ってくるので、そう言う人にはパスを買った外国人の特権だからね…と言うことを毎回説明するなどしていた。
オタクに理解のない会社や人手が薄い会社で『イラストが描ける』もかなり危険で、イラストが描けると言う事実がわかると業務外の作画は1円も発生しないのに「これくらいすぐできるでしょ」とか言われたり渋ると「何でできないの」とか言われる。(やられたことがある)
オウム真理教が弁当屋をやっていた90年代中盤頃は幕の内弁500円が破格でそのカラクリは信者の修行と称して人件費がほぼタダだったからなのに、現代ではこれより安い幕の内弁当が登場しているのでその分がオウム後のデフレスパイラルによって労働者に還元されなかったと言う話でもあって色々闇が深い。
コミケット、確認作業など難しい面があるのは承知だけどサークル申込みも一般入場券も若年割(10代〜22歳くらいまでの学生など対象)を作った方が良いと思う。参入障壁が低くならないと、どんどん高齢化する。
先ほどの台湾の台東地震、震源は台東縣池上郷。台東だけでなく花蓮にも被害が出ており、台鐵の東部幹線に損傷が出ている模様(東森新聞報道)。 #台湾地震
準備会代表からSNS上での憶測が目立つためそのような発言などで判断せず、コミケットアピールの熟読や準備会ウェブサイトの一次情報を随時確認してくださいとのこと。#C100
質疑応答でオリンピックやコロナ禍によりまだ開催されていないコミケットスペシャル7がいつになるのか…と言う質問で、準備会代表からコロナ禍など社会状況が落ち着いていればコミケット50周年となる2025年の開催を目指したいと言う発言がありました(確定事項ではない)。 #C100
会場内は基本的にはマスクを着用、黙食の上の飲食は可能。ケータリングの出店はないが、会場内の飲料販売とガレリアやエントランスなどの飲食店やコンビニの営業はあり。特に今回は3年振りの夏コミとなるので、感染症対策の他に参加者は水分補給や暑さ対策などを万全にしてきて欲しいとのこと。 #C100
今日の三拡準備会、開催概要について現時点では夏コミの開催は予定通り、事前アナウンスの通り入場時のワクチンパッケージはなし。国からコロナウイルス緊急事態宣言が出た場合は中止、また自治体から蔓延防止措置やその他指針が発出された場合の開催状況の変更の際は国や都の方針に従う。 #C100
日本は民主主義と表現や言論の自由が完全に同時に備わるアジアでは珍しい国なのでこの大きな要素を排除する動きには異を唱えなければならないと思うね。これは何もコンテンツや信条の話だけでなく、工業から貿易、通商、金融など全ての産業や人々の生活の基礎になる話だから。 twitter.com/kurokaichi/sta…
日本国憲法第21条で表現の自由が保証されている日本でも下部法の恣意的な運用がなされたら幾らでも規制が可能になってしまう可能性はあって、表現の規制は右派や左派の別なくやりたい勢力は実行に移そうとするし、ましてや日本は民主主義の国で一旦多数で決まったことは覆し難いので慢心はできないね。
香港でも政府が認めない出版物やコンテンツは中国本土並みに規制が入ったり手にできなくなったので、香港の場合は法体系が異なる海外の事例とは言え近隣の同じ東アジアでの表現の自由に対しての非常に自由度が高かった地域での好例なので、日本も参考にすべき部分は大いにあると思っている。
香港の場合は政府が色モノや日本コンテンツの排除を推し進めたかった背景があって同人では最初の規制は政府と青少年の健全育成を進めたいキリスト教団体との結託だったりしたので、その様な事例も含めて規制の流れが増幅された結果、表現の自由を担保する基本法があるのに国安法でとどめを刺されたね。
ワイは香港の同人やポップカルチャー界隈に十余年ある程度関わってきてその状況を見てきたので書籍や演目など表現の自由の規制や自制がどのような末路となるかが何となくわかるんだけど、最初は些細な品行方正な方便から始まり最終的には権力に屈するところまで至ったと言う所業まで行き着いたからね。