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SMAPはただ解散したんじゃなくて、1.18があって解散した。あれがあったから、未だに、CD聞けないもライブビデオも見返せないファンがいる。業界ではもう数年前の過去なのかもしれないけれど、SMAPの映像がTVで流れないという現状を見せ続けられている限り過去ではなくて、なお、痛みある今なんです。
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どうしてグループでいようと思ったら、1.18のようにSMAPらしさを捨てなければならず、どうしてSMAPらしくいようと思ったらSMAPという名前と楽曲を捨てなければならなかったのだろう。どうしてこんなことに視聴者とファンを一方的に巻き込んで、そのことに7年間も無自覚で無責任で居られるのだろう。
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ファンの心にあるものを無かったことにされるのは、とても、理不尽なことです。1.18があったのに、ないことのように普通の解散のように語られた。そして、今なお、平成にSMAPというグループがなかったかのような扱いを受けている。それを、ファンに視聴者に見せ続けている。とても理不尽です。
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どうしてグループでいようと思ったら、1.18のようにSMAPらしさを捨てなければならず、どうしてSMAPらしくいようと思ったらSMAPという名前と楽曲を捨てなければならなかったのだろう。どうしてこんなことに視聴者とファンを一方的に巻き込んで、そのことに6年間も無自覚で無責任で居られるのだろう。
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どうしてグループでいようと思ったら、1.18のようにSMAPらしさを捨てなければならず、どうしてSMAPらしくいようと思ったらSMAPという名前と楽曲を捨てなければならなかったのだろう。どうしてこんなことに視聴者とファンを巻き込んで、そのことに5年間も無自覚で無責任で居られるのだろう。
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「半世界」のことについてファンミで語られたことで、切ない思いをしたファンがいること。半世界は、映画を見てくれた映画ファンからせっかく好評だったのに、ファンミと合わせて大量に感想のないタグが付けられたために、まともな感想が読めないと、映画ファンから言われていたこと。
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何度も言ってるけど、SMAP騒動の特筆性、他のグループと違うところは、視聴者が、ファンが、1.18を見たことだと思っている。そこを抜きにしてどこのグループとも比較することはできない。
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私がSMAPを好きだった理由の一つが文化のインターフェイスの役割を果たしているところだった。SMAP一つあれば色々なスポーツや音楽につながることが出来た。それはメンバーの誰か一人の感性が抜きん出ているからではなくて別々のジャンルに特化して文化の広範囲を覆うことができたからだと思っている。
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「カラマツのように君を愛す」は、舞台としてと、配信映像としての演出の両方があった気がする。映画監督が演出をしてくれたからかもしれない。配信もひとつの映像作品のようだった。本当に新しい演劇のカタチだった。この劇を配信で見られて良かった。
#もうラブソングは歌えない #稲垣吾郎 #門脇麦
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今の中居君を見ていれば分かる。SMAPが終わるにしても、2016年中居君に任せていれば、中居君に主導権があれば、メンバーもファンもこんなことにはならなかったはずだと私は思う。SMAPの功績を否定されるような終わり方ではなかったはずだと思う。あのときは、終り方さえも選ぶことが出来なかった。
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1.18は言ってしまえば、TV放送始まって以来の放送事故だと思う。いつまで、1.18のことを言っているんだというような話ではない。いつまで、1.18をTVで放送した、視聴者に見せた責任から逃げているんだ。1.18をTVでオンエアーした以上、TVと彼らの問題だけではない。あれはTVと視聴者間の問題でもある。
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1.18をTVで放送して一体、誰に見せたかったのか。あれを見て視聴者がファンが傷つくとは思わなかったんだろうか。もし、どうして、あれを見て視聴者やファンが傷ついたのか本当に分からないのなら、TVはこれからも視聴者やファンを傷つけると思う。だからずっと、1.18を検証すべきだと言い続ける。
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どうしてグループでいようと思ったら、1.18のようにSMAPらしさを捨てなければならず、どうしてSMAPらしくいようと思ったら、SMAPという名前と楽曲を捨てなければならなかったのだろう。どうしてこんなことに視聴者とファンを一方的に巻き込んで、そのことに4年間も無自覚で無責任でいられるのだろう。