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いま付き合ってる恋人がお笑い好きだからバナナマンのライブとか有吉の壁とかも観ているんだけど、良くも悪くも日本はお笑いが(漫画のように)才能と金が集約させられている分野なので、日本でお笑い・バラエティ嫌いでいることはアメリカで映画嫌いであるのと同じような損さがあることがわかってきた
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はてなブログに投稿しました #はてなブログ
「世の中の理不尽さ」や「不都合な真実」を強調して、それでどうするの? - 道徳的動物日記
davitrice.hatenadiary.jp/entry/2022/06/…
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アカデミックなポストを得られている人が書いた哲学や社会学などの本を読むとその人間像や市民像に違和感を抱くことが多いんだけれど、学者はなんだかんだ会社員よりかは時間が余っているうえに、異質な人々と交流したり公共性っぽいイベントに参加したりするのが仕事柄しやすい、というのがあるんよな
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批評家や書店が本を読む前から「その本の作者は〇〇差別主義者ですよ」というチクリに対して敏感に反応して、謝罪した後に、批判的な書評をしたり「結論が出るまでは一旦販売停止」したりするの、言論の自由を守ることとか人格と意見を分離して考えることに対する意識があまりに低すぎると思う。
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普段から「加害者」と見なした相手を本人の言い分を一才聞かずに徹底的に非難・キャンセルするような界隈に属しているからこそ、「すこしでも"加害者"側だと見られたくない」という怯えのほうが思想や言論に関わる者としてのプロ意識とか義務感よりも強くなり、チクリが有効に機能してしまうんだろうな
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トランプのときにも散々言われていたけれど「自民党を支持することと同性婚や夫婦別姓や差別反対を訴えるマイノリティを抑圧することとイコール関係にあることは知ってほしい」的なことを言った時点で民主主義とか討議とかいろいろ終わっちゃうよな
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千田さんに対するキャンセル、学者本人としてはアカデミックな領域で清水さんや小宮さんからやられるほうがダメージが大きいとは思うけれど、一般読者としての立場からいうと高島鈴が『現代思想』や『ユリイカ』でやっている行為のほうが悪質・深刻だと思う。
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アカデミックな領域が同質性のためにダメになってるとしても商業誌に多様な議論や意見が掲載されていたら一般読者はそれに触れることができるんだけど、物書きが「この雑誌が○○の意見を掲載することは悪いことです(今後は○○の意見を掲載しないでください)」とやり出したらその道も塞がれてしまう
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また、〇〇を批判する側が主流派・多数派でないと「この雑誌が○○の意見を掲載することは悪いことです(今後は○○の意見を掲載しないでください)」という手法は通用しないだろうし、数の力や時勢にのっている有利さを利用した、いじめみたいな行為でもあると思う。
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反権力ぶっている物書きがこの種の「権力」を利用した言論パージを行うのはほんとうに馬鹿らしい
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あと「地獄」「ヘルジャパン」とか安易に使わないほうがいいよ(現代日本、ウクライナやロシア・中国の一部や中東などと比較したらいまだにずっと良い状況に、戦前や戦時中や戦後の一部と比べてもずっと良いんだし、「地獄」のハードル下げ過ぎでしょ)
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昨日の記事で「日本にはリベラリズムが根付いていない」と書いたのにも通じるんだけれど、問題に対する「異なる解」が有り得るとか、対等な人たちの間でも立場や考え方の違いから「異なる意見」が生じ得ることを前提にして思考したり議論したりする、というのはマジで苦手なんだろうなと思う。
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「人文学が大学から衰退していくことの一部には、曖昧さに開き直ったり自己反駁的な相対主義を主張したりしながら科学的思考や分析的思考を攻撃してきた人文学者たち自身による責任もあるでしょ」といったピンカーの主張、たしかになと思う。 twitter.com/sapinker/statu…