もしかするとお世話になっている先生の言葉かもしれず、言及すべきか否か非常に迷ったのですが、「ヘーゲル研究にお金はいらない」という誤解が広まってしまうととても困りますのでツイートします。状況にもよりますが、研究費は必要です。 twitter.com/desean97/statu…
研究費なしでは、給与も高く、共通経費で図書館に潤沢な資料を揃えられ、学会にも安価で参加できる首都圏と関西圏のごく一部の一流大学以外では研究ができない、という状況に陥ることが予想されます。これでは日本の研究全体が地盤沈下を起こしてしまいます。
夏休みなので頑張ってブログを書いてみました。休みの間にヘーゲルに入門したい方のために。/ヘーゲルに挫折しないための5冊 - kkawasee’s diary kkawasee.hatenablog.com/entry/2018/08/… #はてなブログ
とはいえ、商業的にこうなってしまうことも理解できます。地方都市の限界で、これからもっと状況は厳しくなってゆくはず。
ちなみにイオンに新しくできた未来屋書店の人文系の棚は狭いながらもおすすめできます。宮崎から見ている方のために。
蔦屋をバッシングしたいわけではなく、特にこれは図書館ではなく営利目的の書店なので経営方針に口を出すつもりはないのですが、これが県内最大の書店であることによって、都市全体として見たときに専門的な学習への影響が無視できなくなる、という話です。
思ったより反響が……。ここは厳密には「哲学の棚」ではないというのはその通りで、棚には多少の区別はある。でも学術に力の入っている店なら隣にも置かない。実際の哲学の棚(写真なし)は日焼けした本がそのまま置いてあったり、並び順が微妙で、あまり手入れされていないのがわかる。という感じです。
センセーショナルなまとめができているのに気づき、言葉の選択を誤ったかと反省しています。文字数を減らすためもあって「買うな」という強い言葉になってしまいましたが、「勉強のための本を探しに行く場所としてはすすめられない」くらいが正確です。趣味の小説等を買うにはよい書店だと思います。
聞こえは良いけれど、40代の任期付教員の大量雇い止めが起こる懸念が大きすぎる。現場でこれを無理に達成しようとすると何が起こるか、ほんの少しでも考えて欲しい。/「大学教員、3割以上を若手に」 統合イノベーション戦略推進会議:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/DA3S1…
「実証的」であることと、「学問として正当な手続きを踏んでいること」は全く別ですし、さらに「専門外のことについて、知識人として適切な発言ができること」もそれらと全く別のことです。影響力ある方にこのような雑な発言をされると非常に困ります。 twitter.com/tanji_y/status…
論理的な文章を重視することが「人文知の軽視」と言われてしまうとき、人文学の中でも論理的な文章を主に扱う我々哲学者の存在は無視されているように思います。論理に関する知も人文知ですし、論理を重視した国語教育は多くの哲学者にとって悲願です。
インターネット上の疑似科学批判の文脈でポパーの「反証可能性」だけが市民権を得ている状況には不安を覚えます。切れ味鋭く疑似科学を切り捨てられるところが魅力なのでしょうが、クーンやラウダンの議論を経て、そんなに簡単には切り分けられないよ、というのが科学哲学の分野ではもはや常識のはず。
もちろん疑似科学を支持したいわけではなく、科学とは何かが正しく捉えられないことを問題視しています。これでは疑似科学支持者の側から「科学とされているものにも反証不可能な仮説があるではないか」と切り返された時に太刀打ちできません。一見面倒でも、もっと複雑な検証プロセスが必要です。
反響が大きめなので補足として伊勢田先生のブックリストを紹介しておきます。入門書の項の冒頭の「科学哲学の入門書を選ぶ上で一つ気をつけなくていけないのは、その本の「世代」である」という指摘は、専門家以外にはなかなか見えにくいところでもあり、非常に重要です。 tiseda.sakura.ne.jp/PofSbookguide.…
ある表現が直接的に誰かを傷つけることがあるという話と、差別的な構造の再生産に寄与しうるという話は全く別なので、後者の影響に配慮することは、通常の意味で読者の声を聞くこととは全く別のこととして道徳的に要請されるはず。これがとても重要かつ理解されにくいところ。
そしてこれは別に「少年マンガ」やその他の表現に限った話ではなく、一般にマーケティングにおいて男性向けと女性向けの商品を分かることは問題ないのか? という問いにもつながってくるところなのではないでしょうか。
だから直接的な被害者の存在を前提するセクハラのアナロジーで語るのもナンセンスだし、逆に「全ての読者の声に配慮はできないので嫌なら見ないで欲しい」のような話もポイントを外している。
「哲学には正解がない」「哲学では研究成果が蓄積されない」というのはかなりミスリーディングで、学問全体の発展の中で、正解に近づいてきた分野、研究成果の分野がうまく行き始めた分野は自律的な学問として哲学から分離独立してきた、というのが穏当な理解ではないでしょうか。
「非常勤講師月2.7万」の元記事読みましたが、相場が高いとか安いとか以前に、その薄給で研究者を働かせなければ成り立たないような大学運営を強いているのが紛れもなくこの国であり、突き詰めれば「民意」である、ということに思い至って頂けず大学批判になってしまうのがつらいところですね……。
久々にツイートしたついでにここ最近横目で見ていた議論に言及してみますが、私は大学1年生にヘーゲルやカントをすすめることはしません。まずは入門書を読むべきです。どういう順番で読めばカントやヘーゲルが読めるようになるのかを考えて伝えることが教員の仕事だと思います。
宮崎から東大に進学した者として、地方に生まれ育つことことがどれだけのディスアドバンテージかよくわかっているつもりなので、離島以外で東京からいちばん遠い九州の、その中でも陸の孤島と言われる宮崎で、少しでもその差を埋められるような教育ができたらと思っています。
「学問なんて組織に所属しなくても、ひとりでもできるのだから、勝手にしたらいい。それが学問の自由だ」とおっしゃる方には、学問についての根本的な誤解があると思います。学問は、集団の営みです。一人ではできません。
学者たちの大きな共同体があって、過去から続く伝統もあって、それらの上に立つことで初めて今日の学問は成立しています。その全体を制度によって守らなければ、現在あるような学問の発展は確保されません。これは「学問の自由」の解釈論に踏み込まずとも言えることです。
哲学を学ぶと「前提を疑う力」がつくと言われることがあるが、単に疑うのではなく、「自分の前提を括弧に入れて、異なる前提を暫定的に受け入れながらに議論を追った上で、最終的に筆者と距離をとって自分なりの評価を下す」という、もう少し複雑な力がつく。これは転移可能なスキルでもあると思う。
哲学科では実験もフィールドワークもデータ処理もせずに、ひたすらクリティカル・リーディングとチャリタブル・リーディングを往復しながら難解な文章をパラフレーズする練習を繰り返す。これを数年続けてようやく卒論が書けるくらい読みこなせるようになる。研究者になるにはさらに数年がかかる。