玉手 慎太郎(@Tama_Goldheart)さんの人気ツイート(古い順)

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ヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と言ったそうだが、もしリベラルであるなら同時に次のようにも言うのでなければならないだろう。「私はあなたの意見には賛成だ。だがあなたがそれを他人に強制しようとするなら命をかけて止める」と。
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今日の真田丸の、大阪五人衆が「討って出る!」でまとまったのに淀殿の「所詮雇われ牢人、裏切ったらどうするのです」で籠城することになるの、なんとなく最近の大学行政を思い浮かべながら観ていた。実績を重視する若手実働部隊がみんな任期付雇用で上と意思疎通できない感じ。#真田丸
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ヘーゲル「世界精神(ヴェルトガイスト)」 ニーチェ「永劫回帰(エーヴィヒ・ヴィーデァケーレン)」 ロールズ「無知のヴェール(ヴェール・オブ・イグノランス)」 あたりは厨二心をくすぐりますね。 カント「天上の星々の輝きと我が内なる道徳法則にかけて、お前を許しはしない!!」(主人公) twitter.com/curephewsigh/s…
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思うに、文系研究(特に思想研究)というのは、「これまでわからなかったことがわかった!」という、一般的な「研究」のイメージとは、別の営みをしているのではないでしょうか。それはむしろ、「これまでわかっていたつもりだったのに実はわかってなかった!」という営みであるように思います。
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この点が理解されなければ、文系は「いつまでたっても結論が出ず」「直接にはなんの役にも立たない」などと批判されてしまうのも致し方ありません。しかし文系は、確定的な知識を増やそうとするより、むしろ、確定的な知識とされているものが実は一面的なんじゃないか、という批判をなすものでしょう。
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文系の大学院で学ぶことの一番の効果は、(他人のではなく)自分の知識や自分の意見をこそ疑ってかかる態度を身につけることだと、僕は思います。勉強すればするほど、自分の知識が一面的である可能性に敏感になり、独善的になる危険性に常に気をつけるようになるはずです。これはとても大事なこと。
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よくネタになる、その道の一流の先生が「素人なので教えていただきたいのですが…」との前置きできつい質問をするという話、あれ、別に皮肉なのではなくて(皮肉で言う人もいるかもしれませんがw)、勉強すればするほど本気で自分は素人だと思えてくるというのが、文系にはままあるように思います。
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雑にいろいろ書きましたが、これがつまりは、文系の始まりである「哲学」のさらにその始まりとしての、ソクラテスの「無知の知」の意味なのかな、と僕は考えていたりします。ソクラテスは問いかける人であって「答え」を与える人ではありませんでした。僕はそのことを大事にしたいと思っています。
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哲学史ど素人ながら思うのですが、「自分のありのままの欲求にただ従うのは自由でもなんでもない」という話は古代ギリシャからあって、カントやヘーゲルの一大テーマでもあったはずなのに、現代社会は「わたしのやりたいことができないのはおかしい」でガンガン進んでいるのはなぜなんでしょう。
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研究者にとって、研究に対するモチベーションと論文を書くモチベーションは別物である、というのは常識なようで意外と誤解されているところかもしれない、と最近思います。前者のモチベが非常に高いにも関わらず後者のモチベが低い、という人(あるいは時期)は決して珍しくありません。
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差別というほどではないのですが、僕が昔からモヤモヤを感じていることについて書きます。それは、東北弁が「非洗練」や「後進性」のアイコンとして使用されている」ことです。率直に言えば、僕は、自分のふるさとの言葉を「恥ずかしく」「公共の場では隠すべき」ものだと感じて生きてきました。(続)
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例を挙げれば、僕はHUNTER×HUNTERのキメラアント編は漫画史に残る名作だと確信し、死ぬまであと一万回は読み直すつもりですが、なぜコムギが東北弁を話すのか、そこはいつもひっかかります。あれは「所作において洗練されていないこと」を示すキャラクター付けなのではないでしょうか。(続)
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ですが、「東北弁(東北人)=粗野」は偏見だと思います。東北弁が純粋さ・純朴さのイメージで使用されることもあり、常にマイナスだとは思いません(たとえば連続テレビ小説の「ひよっこ」とか)。でも、そのプラスイメージも田舎者・遅れている者であることに付随したものに思えます。(続)
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古坂大魔王さんもサンドウィッチマンさんも、とても面白くて個人的にも応援しているのですが、彼らは全国波のテレビでは標準語で話すわけです。僕はそこに(大げさに言えば)関西との「地位格差」を感じます。関西の芸人さんは当然のように、ふるさとの言葉を公共の場で話すことができるのです。(続)
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学会でも関西弁で報告する人はそれなりにいて、僕はいつも、自分が東北弁で研究報告したら同じようには受け入れられないだろうな、と考えてしまいます。「なしてそいなロールズ理解ばり広まってまったか、今日はそごんとこ論じてぇとおもいまス」(←これはひどすぎるけれど笑)。(続)
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もちろん、これは言葉を理由に就職で不利な扱いを受けるとか公的サービスが受けられないとかいったこととはレベルが違います。その意味で日本における「差別」だと思っているわけではなく、あくまで些細なわだかまりなのですが、ちょっとでも理解してもらえたら嬉しく思います。(了)
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これは教育哲学の問題かもしれませんが、最近気になっているのは「ある分野での真摯な努力は人格的成長につながる」という言説です。これは確実にあると思っています。たとえば学校の部活なんか典型的で、プロを育てるためではなく生徒の人格的成長のためにやるわけです(原則としては)。
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ホフスタッターのAnti-intellectualismを「反知性主義」と訳したのはうまくない、という話題を久しぶりに見かけましたが、これ僕としては「反知的権威主義」でどうでしょう、と前から思っています。かなり意味が通ると思うんですけども。単なる反エリートでも反知的エリートでもなく、権威性への抵抗。
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ウェンディ・ブラウン『いかにして民主主義は失われていくのか:新自由主義の見えざる攻撃』(中井亜佐子訳、みすず書房2017)を読みました。サッチャーやレーガンの政策方針とは異なる、この現代の「新自由主義」がいかなるものであるのかを、フーコーを用いて細かく論じている本です。(続)
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(承前)みんな「新自由主義」とか「新自由主義的改革」とかさらっと言っているけど、それって結局なんなの?たんなる市場原理主義とどう違うの?みたいな疑問がそれなりに氷解します(記述がちょっと回りくどいけれど)。特に6章の大学改革の分析は、大学関係者はすごく興味深く読めると思います。
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今日、授業で「うっせぇうっせぇうっせぇわ」と「ペンパイナッポーアッポーペン」ってリズムが同じですよね、面白くないですか?って話をしたら面白くなかったらしく死ぬほど受けなくて死にたくなりました。思い返すに、自分でも最初、何が面白いと思ったのかわからなくなってきました。
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マイケル・フリーデン『リベラリズムとは何か』(山岡龍一監訳、寺尾範野・森達也訳、ちくま学芸文庫2021)を読ました。オックスフォードのVery Short Introductionシリーズの一冊。骨太な本ですが、リベラリズムの意味のつかみづらさは本書の議論によって決定的に改善されるように思います。(続)
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野家啓一『科学哲学への招待』(ちくま学芸文庫)を読みました。「科学哲学」と聞いてすぐに思いつくポパー、クワイン、クーンらの哲学だけでなく、科学の歴史および科学社会学の議論も組み合わせられていて、「科学とは何か」について考える上でたいへん優れた入門書だと思います。(続)
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【研究資料】researchmap上に研究資料として「アマルティア・セン邦訳論文リスト」を公開しました。日本語で読めるセンの単体の論文や講演録をリストアップしています。ご関心のある方はぜひご利用ください。また漏れがありましたらご指摘いただけると大変ありがたく思います。researchmap.jp/multidatabases…
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宮本真也「フランクフルト社会研究所の現在」を読んでいたら、70年代から運営資金が安定しないプロジェクト型予算になったために短期で成果を上げる圧力がかかって哲学的関心が後退した、という旨のことが書いてあり、フランクフルト社会研究所ですらそうなのか…とさみしい気持ちになりました。