数日前の朝日に「夜の街」について小説家の岩井志麻子さんの言葉が載っていた。岩井さんは歌舞伎町に住んでいるそうだが、ある時犬が散歩中に逃げてしまったら、出勤途中のホストやキャバクラ、風俗の子らが次々に追跡に加わり、大騒ぎの末犬は戻り、みんな「よかったね」とすぐ去っていったという。
その時岩井さんが感じたのは「『他人に過大な期待をしてはいけない』ことを過去の人生で学んだ人たちからにじみ出る、一種のやさしさの形」だった。人に期待しない人たちが、深入りしない限りで人にしめすやさしさの形。
「歌舞伎町は、ここで生きることを通じてしか息ができない人々を『そのままでいいよ』と認めてくれる『夜の街』であってほしいと思います」
「防衛省が人工知能(AI)技術を使い、交流サイト(SNS)で国内世論を誘導する工作の研究に着手」という記事がTLで話題になっているんですが、ちょっと誤解があって、これは「公表」も「発表」もしていないんですね。「着手したことが9日、複数の政府関係者への取材で分かった」とあります。
「どうして政府がこんなことをわざわざ発表するのか」と書いている人が結構いるんですが、もちろん発表しません。おそらく、政府部内に「これは危うい」と思っている人がいて、取材に応じて秘密を匿名で明かした。そしてそれを別の関係者に聞いて、事実であることを確認したということです。
半藤一利の『手紙のなかの日本人』を読んでいたら、乃木大将の妻の話が出てきて。明治天皇の大葬の時に乃木大将が殉死をして、その時一緒に死んでいるのだが、無理心中というか、要するに乃木大将に斬殺された疑いが濃厚なのだそうだ。
福井市の郊外にある勝木書店新二の宮店に「岩波王国」が出現。単行本から文庫(ジュニア文庫、現代文庫含む)、新書、ブックレットまで3万冊が並ぶ。 #岩波書店 #勝木書店
乃木静子は「せいぜい長生きして、芝居を見たり、おいしいものを食べたりして楽しく暮らしたい」と語っていたという。そんなささやかな願いを「忠義」のために踏みにじっていったのが明治の精神なのだった。
この「分かった」とか「明らかになった」というのは、発表記事ではなくて、「独自取材」だということです。政府関係者を秘密裡に取材して、そういう動きがあることを察知した。複数の、立場が異なる政府関係者を取材した結果、言っていることが一致したので、事実であると判断している。そういう意味。
ほとんどの新聞記事は何らかの発表とか記者会見によって書かれているので、新聞記事とはそういうものだと思われてしまうのですが、そうでないことも結構あるのです。「~~ことが分かった」というのは基本的に「取材成果」だということです。この場合は特ダネです。
佐藤優氏がプーチンのシンパになったことは間違いないようだ。 佐藤氏の初期の著作にサーシャという人物が出てくる。佐藤氏のモスクワ大学での親友で、ラトビア出身のロシア人、ラトビアの独立のために活動するサーシャは読者に強い印象を残す。 だが、その後どうなったかは知られていなかった。
しかし殉死の内実がこのようなものだったとすると、明治の精神とはなんとはた迷惑で血生臭いものだったのかと思う。まあ、知っていたような気もするのだが。
乃木はかねてから殉死を静子夫人に持ちかけていたが、夫人は「死にたくない」と拒否。本気にしていなかったのか、当日も至って普通だったらしい。 その夜、「今夜だけはお許しください」という夫人の叫びをお手伝いさんが聞いた。静子の死体は3回胸を刺されていたという。
佐藤氏がはまった落とし穴は人間的なもので、同情に値する。ただ、今後佐藤氏がロシアについて何を言おうが、一切信用出来ない。彼はもう立場を決めてしまった。プーチンについて一見批判的なことも書いているが、それは中立の見せかけに過ぎず、佐藤氏の心は常にサーシャとともにある。
今日、書店で佐藤氏が昨年出した翻訳書の後書きを読んでいたら、その本の著者がサーシャであることがわかった。 サーシャと佐藤氏は20年ほど音信不通だったが、2012年に友情が復活した。なんとサーシャはプーチンのイデオローグになっており、ウクライナ東部にできた傀儡国家にも深く関わっている。
私たちの人生には時折、輝かしい他者が現れる。その人の周囲はいつも光輝いて見え、私たちはその人のようになりたい、それが出来ないならせめて共に歩みたいと願う。その人が誤っているのなら、いっそ共に過ちを犯したいとすら思うのである。
いよいよ発売日が近づき、書影が出ました。
量産体制になってからは読んでないが、初期の佐藤氏の著作は割と熱心に読んでいたので、サーシャことアレクサンドル・カザコフ氏が佐藤氏にとってどれほど大きな存在かは理解している。 その彼がプーチンのイデオローグになったという顛末は個人的にもショックで、考え込んでしまう。
友情は美しいものだけど、そのために眼が曇ることもある。この本の後書きで佐藤氏は、プーチンに北方領土問題を解決する気があると主張している。 そんなことは到底ありそうにない。
サーシャは佐藤氏の青春時代の英雄である。佐藤氏はサーシャが変節したとは思っておらず、サーシャの主張を入れて、プーチンが歴史的役割を果たそうとしているのだと信じることにしたようだ。
モスクワ大学に留学した佐藤氏にとって、ソ連軍の戦車に立ち向かい、ラトビア独立に貢献した親友サーシャこそそんな輝ける他者であった。激動のなかで音信不通になっても、彼は記憶の中で輝かしい存在であり続けた。そんなサーシャが、50歳を超えた佐藤氏の前に再び姿を現したのである。
グダグダ言っていたわりに、あっさり河瀨直美のオリンピック映画を見に行ってしまった。どういう映画なんだろう、という好奇心が抑えられなかった。