諾門汗大人🇺🇦(@nomonhanojisan)さんの人気ツイート(新しい順)

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最前線の塹壕に指導に行くエピソードが出てくるのだが、普段はモスクワにいる赤軍砲兵次長サマがいくら視察に来たからといはいえ最前線で中隊や小隊レベルの戦術指導をするという異常事態に陥っていたことを示している。
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もう一つ別の理由が挙げられていて、粛清の影響で士気や練度が大きく低下した結果、将校が前線に出て何でもかんでもやらざるを得ない状況になっていたことが大きいのだという。 実際、ニコライ・ヴォロノフの回想録には前線部隊の歩兵と砲兵の連携が全然なっていないので(続
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ノモンハンにおけるソ連軍は将校の損耗率が高く、ソ連軍内部でも問題視されていた。ソ連軍自体はその原因を将校が簡単に下士官兵と見分けがつく(帽子や襟章などで)こと、日本の狙撃兵が優秀なことに求めていて、将兵の回想にも偽装に工夫した話がたびたび出てくるのだが、ミリバフの粛清史では(続
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無職でいる間何してたかというと、こんなものを読みながら、宿願だった『ハルハ河戦争史』を書いておりました。 敢えて断言しますが、日本人がロシア側文献を駆使して、日満ソ蒙それぞれの立場から描いた日本で初めての「ノモンハン戦史」であると断言してはばかりません。ずっとこれをやりたかった。
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ま、そんな訳で「一番苦労したのはノモンハン」などというのは日本だけで流通しているデマな訳です。今回はたまたま反応しちゃいましたが、警察ごっこは嫌ですがデマ退治は大事で、その辺どうバランスとっていったらいいんでしょうかね。(終
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『T-34戦車とその時代』でもいろいろ書いてありますが、こういう「専門家」がデマをばらまくのが一番アカンのですよ。2000年代初頭までの「専門家」たちのソ連軍の扱いは大概こんなものですがね。(続
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にもかかわらず、たとえば2005年に邦訳が出たコロミーエツの『ノモンハン戦車戦』では、ジューコフがそんなことを言ったなどとは本文には一言も書いていないのに、訳者のあとがきとやらにそんなことが書かれ、本の帯にも書かれていたりするんですね。絶対コロミーエツに許可とってないでしょ。(続
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一方、国防相になってから西側記者団の取材に応じた際には「モスクワとスターリングラードはどっちが重要だったか」と聞かれて「どっちも重要」とは答えていますが「そんなことよりノモンハン」なんて答えちゃいないんですね。(続
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沖縄戦真っ最中の西側記者から「ドイツ軍と日本軍の比較」を問われ、「ノモンハンは小規模で短期間だったし情況も変わっているので確たることは言えない」と慎重な留保の上で「ドイツ軍の方が装備に優れ武器の取り扱いに熟達していたが、狂信さでは日本軍の方が上」としか答えていません。(続
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そもそもジューコフはノモンハンに勝利して1940年に初めてスターリンに謁見した際、「戦場で苦労したことは何かね」と聞かれて「補給です」と答えており、「日本軍が強くて苦労しました」なんて答えちゃいないんですね。1945年のベルリン陥落直後に西側記者団の会見に応じた際も(続
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そういった「実在するのならすぐに分かるはずの情報」が伝えられないまま「一番苦労したのは?」「ノモンハンだ」という部分のみが延々と流通し続けているのは、最初の創作の時点でそれしか用意されていなかったからにほかなりません。(続
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言及されることはなく、もちろんロシアでもそんな発言はまったく知られていません。 いつ、誰に、どういう取材(会見? 談話?)の中で、どういう文脈で発言されたのか。「周囲は驚いた」というのなら周囲はなぜ理由を聞かなかったのか、なぜその前後のやり取りは伝えられていないのか。(続
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当然ロシア語は知らないし、ジューコフに会ったこともありません。ということはもしハケットが古閑に本当にそんな話をしたのなら、どこからその情報を得たのか。新聞、雑誌、書籍、英語で流通した何らかの出典があるはずなのですが、英語圏のソ連軍研究ではまったく(続
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機関誌に載った古閑健元中将の講演要旨とされる記事で、「ミシガン州立大学のハケット教授から古閑がそういう話を聞いた」というもの。もうそもそもこの時点で「ハケット教授」が本当にそんな話をしたのかどうかも疑わしい。このハケット教授は山縣有朋などの伝記がある日本研究者で、(続
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日本だけで流通しているデマです。で、最近では「もう日本と戦いたくない」と言ったとか、ちょろちょろ尾ひれがつき始めてんなと思っていたらあの発言だったので思わず笑ってしまったという訳です。 そもそも「一番苦労したのはノモンハン」デマの出所は第23師団OBによる戦友会「ノモンハン会」の(続
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出てくる文言をかなり日本人好みに意訳・改変したものですが、しかしまあ、そういう発言はあるっちゃあります。 もう一つ有名なのは「軍歴で一番苦労した他戦いはどこか」と聞かれて「ノモンハン」と答えたのでモスクワやスターリングラードを想定していた周囲は驚いた、というもので、これは(続
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昨日書いたジューコフのノモンハンデマの話、意外と情報が錯綜してるみたいなのでちと連ツイで解説します。 ジューコフのノモンハンに関しての発言として日本で流通しているものは大きく分けて二つあって、一つは「下級兵士は優秀だが上はダメ」(要旨)というもので、これはジューコフの回想録に(続
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一般の人の歴史知識や認識がガバガバなのは当たり前なんで一々ツイッターで警察ごっこするつもりは毛頭ないんだが、流石にこれは笑った。 ジューコフのノモンハンデマも内容が少しずつインフレしつつあるなという気がしてたけど、一気にフライハイしてきおったわい。
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ノモンハン戦車戦、日本歩兵の肌感覚と違って火炎瓶はあまり役に立ってなかった、速射砲の方が役に立った、ってことになってるけど、ソ連戦車兵の回想を読んでると速射砲よりも火炎瓶の方が脅威としてずっと存在感が大きくて、人間が受けるインパクトってのはそう変わるもんじゃないんだなって。
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ハンコ文化というとノモンハンの際の 関東軍司令官 辻(代理) 参謀長 辻(代理) 参謀副長 辻(代理) 作戦部長 辻(代理) 作戦課長 辻(代理) 作戦班長 辻 右依命 を思い出す。なお日本軍に代理捺印という制度はない模様
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「彼ら(関東軍)は、4千マイルも離れた欧州の外交と自分たちがモンゴル国境でやっていることに関連があるとは思いもしなかったでしょう」 今も思っていない人は多い。 ノモンハン事件、第2次大戦の「着火点」 欧米に新視点:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASN9H…
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【告知】 露木好史/佐々木智也共著『T-34戦車とその時代』、いよいよ完成品がロールアウトしてきました。 名戦車の開発史を通じてスターリン期ソ連の国家と社会の一側面に光を当て、同時に日本における「ソ連の語られ方」にも再考を促す一冊です。 9月1日から頒布開始します!
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ずいぶん昔だけど、「ノモンハンや硫黄島は『邪魔な』一般民衆とかがいないからミリオタには理想的な戦場w」みたいなことをネットで言ってる奴がいたのだが、石原俊『硫黄島』や田中克彦『ノモンハン戦争』や私の『ノモンハンの国境線』を読ませて感想を聞いてみたいもんである。
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情報戦と言えば内モンゴルの宗教工作にかかわった日本軍の将校に「幽径虎嵒」という人がいて、なんだこの中二病くさいコードネームとか思っていたら本名だと知って仰天したことがある。「ゆうけい・こがん」と読むそうで、幽径姓は埼玉とかにちょっとだけある姓なんだそうな。
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はよう国会図書館に行って無芸大食バカ御用達カレーが食いたいのう。