これ、東京外大ドイツ語科の学生さんが、「センセイ、何言ってんですか、Ich bin ”ein” Berliner なんて言いませんよ。 einはこの場合つけないんです。」と「訂正」してくれたのをおぼえている。ケネディは史実としてそう言ったと抵抗したのだが、「ドイツ語的にありえない」の一点張り。
読書家の先輩に「最近なんか面白い本あったか?」と聞かれたので、殊能将之『黒い仏』には驚きました、新幹線の中で読んで思わず乗り過ごしそうになりました、と紹介した。 そのあと、先輩に「お前、あれはなんなんだ」と叱られたが、私には一片の悔いなし。
これから『鎌倉殿の13人』には公暁が出てきて、近年では「こうぎょう」と読むので大河ドラマもこれに従うのだろうが、もちろん年配者は「くぎょう」と教わっている。 きっとけっこうな数のクレームが、テレビ局に来るに違いない。 係の人は今から憂鬱なのではないか。
技術的に予算・時間的にある時期以降のとくにテレビアニメが「粗製乱造」に陥ったのは事実であり、それを批判する論調は底流としてあった(今もある)が、7-80年代オタクは、その中で一部の作り手が苦し紛れに打ったアイディアの飛躍や冒険を「俺たちのもの」として愛してしまったのでしょう。
驚くべきことだが、昭和末期から平成初期にもう「昔の特撮は素晴らしいが、現在のは全然ダメ!」というオタクはいたし、今も実はいる。特撮の場合は円谷英二というファクターがあるからあながち妄言でもないような気がするが、アニメもそうだと言っていたような・・・
リメイクされる作品のアイディアは昭和のもの、リファインされた表現技術は平成令和、というあたりが、第1~1.5世代オタクがアニメのなにに熱狂していたかの一面を説明してくれるように思える。
「いいものはいいね、悪いものはダメだけどね」は何も言っていないのと同じだし、結局はそれを決めるのは儂だ、と威張っているだけなのだが。 ちなみに昔のアニメ特撮だって、スタージョンの法則は当てはまるので、懐かしがるのはいいが、無闇に褒めるのは禁物である。
「アニメとか特撮とか、幼児じゃあるまいし」という感覚は、それらこそが本邦コンテンツ産業を支える稼ぎ手になった現在では、形を変えて、特定の「正しい」作品やその作り手は素晴らしいが後はくだらない、という論調に残っていると思われる。稼いでくれれば褒めるが、稼げないものはやはり駄目だと。
大人たちが「えっお前マンガみているの?」というのは何も気にならなかったが、同じ中学生や高校生に「いつまでアニメとかみてるんだ? キショ。」といわれるのはちょっと来るものがあった。 一方で、「孤塁を守る」という感じも少しあったのはたしかである。 このあたりの屈折が今と違う。
「アニメや特撮は卒業するもの」は昭和後期の同世代の若者の多数がそう信じていたというのは、記憶にとどめておきたいところであります。
「こんな大事な文献があるのを知らなかったのか!!」と青ざめて注文した洋書がコロナの空を貫いて届いたとき、自分の持っているハードカバーを改題しただけのものであったのに気づいたときの「私」の気持ちとして、最も適当なのは次のうちどれか。記号で答えなさい。
個人差の激しい話だろうが、このあたりの日本社会の平凡な一市民の絶望的な呑気さや甘さ、油断というものの存在を無視して「暗い谷間の時代」を語るのは不正確で、あえていえば不健全な観念性を帯びているように思える。
祖父の戦後がどのようなものであったのかは、想像で語るべきでもないが、少し考えるといまでいうPTSDに近いようなものもあったはずで、昭和戦後社会がそういうものは「ない」、つまり「復員ボケ」「自己責任」にしていたふしもある。家族としても申し訳ない気もする。
帰りの船の中で「あいつ(元日本兵で、ソ連の威光を笠に色々やった男)だけは許さねえ。海に叩きこんでやる」とみんなで噂していたが、一向に姿が見えない。舞鶴(佐世保?)が見えてくるとみんなで「スターリンのばかっ!」と連呼して憂さを晴らしたが、その中にどこかに隠れていたその男もいたと。
晩年も習いもしていないピアノを探り引きできるような器用なひとだったから、まあ助かったのだろう。その孫は絶対にばれて「てめえ嘘つきやがってこの帝国主義者が」とやられる。そもそも隣の兵隊に咄嗟に助けてもらえるような人徳があるかというと。
実際に会社経営者(鉄工所経営の二代目)だからすぐなんかされたというわけでもないらしいが、プチブルやインテリよりは職人のほうがはるかに安全であったのはたしからしい。「○○の街のたいていの壁は俺たちが塗った」と自慢していた。やってみると、壁塗りはできるようになったそうです。
祖父がシベリア(というか中央アジア)に抑留で連れていかれたとき、まず「このなかで職人は手をあげろ」といわれて「おれ違うしな」と思ってぼんやりしていたら隣の兵隊が「〇〇さん、あんたなんか殺されてしまうから、大工だったって言え。大丈夫、おれが教えてやるから。」で、嘘ついて生き残ったと
大連商業学校で首席だったので自動的に神戸高商に進学できるはずが、船長の父が死に、士族の家柄が自慢の母が「長男なのに家を守らないでどうする」と内地遊学を厳禁、失意でグレてしまいT型フォードを乗り回す遊び人になったが、やがてタクシー運転手からタクシー会社社長になった大伯父の話を聞き、
天文学的インフレで日本円がむやみに強くなってヒャッハーとなった留学生が、「棚買い」から「本屋丸ごと買い」ついに「出版社買っちゃうけどいいよね?」と大学―文部省(当時)に問い合わせるまでエスカレートした実話を話しても嘘だと思われるのがつらい。
昔話をひとつ、します。 『ガンダム』最初の放映から映画化にむけてブームが起こっていた頃、つまり、「ファースト・ガンダム」などという言葉がまだなかったころですが、 「しかしあのテレビの主題歌の歌詞はどうか」 という声がわれら中坊の中からあがりました。 ♬ もえあがれ もえあがれ
もう一度聞く。「Siri、革命を起こして!」に 「アラームをいつに設定しますか?」 警報だと? ぬう、Siri、寝返ったか・・・
「Siri、革命を起こして!」と言ったら、「何時に設定しますか?」と答えられた。Siriはやる気だ。
大学に入ったとき、毎週楽しみだった中世史の先生の教養の講義で「僕が大学受験のときに列車がトンネルを抜けたら雪が全然なくてからっと晴れていたので、太平洋側はこんなに得しているのかと驚いた」と言われていたのを今でも覚えている。
自分たちの給料を平気で下げてみせる者は、他人の給料なんかもっと平気で下げるであろう。