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【お知らせ】
高台寺にて開催中の「バロン吉元/寺田克也 #バッテラ展」。
会期に先立ち境内にて行われた、共作襖絵の公開制作。その7日間を記録したドキュメントムービーが公開されました!是非ご覧ください。(スタッフより)
youtu.be/kdABaL-mbEg
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【お知らせ】
バロン吉元、弥生美術館での個展開催決定!!!
会期:2019年1月3日〜3月31日
1959年に漫画家デビュー。今もなお精力的な制作を続け、迎える画業60周年のアニバーサリーは、新年の幕開けと共に始動します。詳細は後日発表!
Coming Soon!!!
#バロン吉元画業60年記念祭
(スタッフより)
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⭐️メインビジュアル公開⭐️
画業60年還暦祭「バロン吉元☆元年」
弥生美術館にて新年の幕開けと共に開催!関連イベントも発表されました。
◆トークイベント◆※敬称略
1/20 あがた森魚×荒俣宏
2/22 鈴木敏夫 司会:エ☆ミリー吉元
3/2 寺田克也×山田参助
natalie.mu/comic/news/305…
スタッフより
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【情報解禁】
『バロン吉元画集 男爵』
漫画執筆と並行し、自身の名を伏せ続けられた、30年以上にも及ぶ絵画制作の【謎】。今明かされる、孤高の男爵が築き上げた神秘の楽園は、表現の新たな地平を切り拓く。
1月17日、@PIE_BOOKSより発売。予約開始しました!→amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%8…(スタッフ)
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#いだてん で話題の「天狗倶楽部」ですが、新潮社から出版された横田順彌先生の『火星人類の逆襲』と『人外魔境の秘密』は、まさに彼らが大活躍するお話です。装画・挿絵はバロン吉元が担当、本編中にも沢山の天狗倶楽部イラストが登場します。横田先生のご冥福をお祈り致します。(スタッフより)
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【情報解禁・告知ムービー公開】
バロン吉元画業60年還暦祭
『男爵芋煮会』
2019.3/28~4/7
会場:@void_asagaya
青木俊直
朝倉世界一
小田島等
すぎむらしんいち
寺田克也
永野のりこ
花くまゆうさく
松田洋子&清田聡
丸尾末広
森下裕美
山田参助
やまだないと
※敬称略
#男爵芋煮会
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モンキー・パンチさん御逝去の一報に愕然。"漫画アクション"を通じた盟友とも言うべき存在で、お互い似た所も多かった。映画ファンで良くVHSを交換し合ったり、国外でも度々ご一緒したり。人間的に身近に感じる存在だっただけに、この度の訃報には胸を抉られる思い。御冥福をお祈り致します。(バロン)
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第48回日本漫画家協会賞におきまして
バロン吉元 全作品
が、文部科学大臣賞を受賞致しました。
漫画執筆と現在に至るまでの絵画制作、双方の【全作品】が「マンガの可能性を大きく拡げてみせた」との理由で受賞に繋がったとのことです。誠に有り難うございました。(スタッフ)nihonmangakakyokai.or.jp/?tbl=event&id=…
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日本漫画家協会賞贈賞式。文部科学大臣賞を受賞したバロン吉元による #バロンのロボたこ踊り。"ムーンウォークせよ"との指令を受けたエ☆ミリー吉元、そして大賞を受賞された山田参助先生も飛び入りし、記念すべき贈賞式を"ロボたこ的大団円"にて終える事が出来ました!有難うございました!(スタッフ)
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【出演情報解禁】
NHK『アナザーストーリーズ』8/20の放送はモンキー・パンチ先生特集!「漫画アクション」創刊時、新人ながら二枚看板として売り出されたモンキー先生とバロン吉元。”唯一の同期”として語るインタビューではルパン三世の誕生前夜も明らかに。是非!(スタッフ) www4.nhk.or.jp/anotherstories…
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上野の森美術館にて始まる #永井GO展 内覧会へ。迫力と躍動に満ち溢れた原画の圧倒的密度。豪ちゃんの業に改めて唸る、凄まじい見応え。画像2枚目は豪ちゃん、ながやす巧さんと一緒に。3枚目はさいとう・たかを先生、4枚目は角川歴彦さんと。展示について皆さんと語らう、良いひと時でした。(バロン)
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漫画アクションでずっと一緒だった矢口高雄氏。彼の表現の豊かさは自然の豊かさをも包括していて、例え木の葉一枚であっても生命観に溢れ歓喜に満ちていた。彼の邸宅へ招かれ鮎の塩焼きだけでお腹一杯になった事は最高の思い出。矢口さん有難う。ご冥福をお祈り致します。(バロン)
動画:於横手 2019年
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水島新司さんの訃報を知り、「えッ」と言ったきり、しばし声を吞みました。彼の健康状態はずっと気になっていたのですが、ここ一、二年の間に親しい漫画家の仲間が矢継ぎ早に亡くなって、つい水島さんのことをふっと忘れていたところへ、いきなり届いた訃報でした。(続)
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水島さんは実に機智にとんでいて、洗練されたユーモリストで、ギャグも機転が利いて、うまく皆を笑わせてくれたものでした。2005年12月16日に帝国ホテルで開催したパーティでのこと。壇上でマイクを持った水島さんが、ステージの左右に置かれた私の若い頃と現在、それぞれの大きな写真を見て、(続)
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まだ半信半疑な心持だ。宮谷一彦氏の訃報が伝わってきても、彼の非現実的な存在ゆえかどうにも胸にしっくりこない。彼とはたった一度だけ、70年代初頭にどこかの新年会だったと微かに記憶しているが、二人が出会って互いに挨拶した以外、何も話をする余裕がなかったのだ。なぜなら大勢の振り袖姿の(続)
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以前とあるパーティで、いきなり私に近付いてきた男性が「私は石井いさみと言います、よろしく」と挨拶してきたものだから、「バロンです」と慌てて挨拶を返しました。30年位前のことです。その時初めて知らされたエピソードがありました。私がまだ鹿児島にいた少年時代、何らかの投稿誌だったかと(続)
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記憶していますが、読者が制作・編集した肉筆の漫画誌を閲覧希望者で回覧していく、そういった呼びかけがありました。私も申し込んだのでしょう。それは印刷ではなく肉筆の原画、糸で綴じられた一点モノの書籍でしたが、驚くことにその本を制作したのが石井いさみさんだったとのことなのです。(続)
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当時の私は回覧誌に一体何を書き次の人へ回したかは忘れており、すると石井さんは「君が書いたのは回覧誌の漫画に対する厳しい批評文だったよ」と。更に内容の細かいことまで言われ、私は茫然と…しかし同時に非常に嬉しくも思いました。石井いさみさんの御冥福を、謹んでお祈りいたします。バロン吉元