明治二年五月十一日(1869年6月20日)は箱館戦争において、#土方歳三 が亡くなった日。
慶応四年五月三十日(1868年7月19日)は新選組 #沖田総司 が亡くなった日。 戒名/賢光院仁誉明道居士 沖田総司の言葉として『両雄逸事』には 「及昌宜被傷。房義切歯曰。我幸而癒。則当斬虜輩万借耳。臨歿。罵之不絶口」とある。
元治元年六月五日(1864年7月8日)は #池田屋事件 が始まった日。 「打入候者ハ、拙者、沖田、永倉、藤堂、下拙養息周平今年十五歳、右五人ニ御座候」 「永倉之刀折連、沖田之刀ハ帽子折連、藤堂の刀者刃切さゝらの如く」 「下拙者刀ハ虎徹故ニヤ無事ニ御座候」 近藤勇書簡
天保六年五月五日(1835年5月31日)は #土方歳三 が生まれたといわれる日 「歳三は、天保六年五月五日の御節句、軒先きに葺いた菖蒲の葉越しに、朝日がパッとさし込んだ時、土方隼人の四男の末子として産れました」『土方歳三の生いたちと晩年』
明治二年五月十一日(1869年6月20日)は、箱館戦争において #土方歳三 が戦死した日。 遺体若しくは首級は五稜郭に埋葬されたといわれる。 市村鉄之助に託した辞世の句は 『よしや身は蝦夷の島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ』。
慶応四年五月三十日(1868年7月19日)は新選組 #沖田総司 が亡くなった日。 戒名/賢光院仁誉明道居士 沖田総司の言葉として『両雄逸事』に、 「及昌宜被傷。房義切歯曰。我幸而癒。則当斬虜輩万借耳。臨歿。罵之不絶口」とある。