このヨシダナギ写真展「HERO&QUEEN」はほかの方も報告も目にしていますが、典型的なオリエンタリズムの差別です。 公立私立問わず、美術館ならまずあり得ない内容です。西武池袋本店という百貨店の展覧会だから、事前に主催者側と作家側の調整ができなかったのでしょうか。 twitter.com/asahara1966/st…
カタールの人権問題より、会場のゴミ拾いに熱心な日本人(気候危機には関心ありません)。 twitter.com/YahooNewsTopic…
YouTube動画は削除されてしまいましたが、ニコニコ動画(3:01:30あたり)で見られます。風向きが悪くなったからといって、消すとは卑怯な。 live.nicovideo.jp/watch/lv337498… twitter.com/arai_hiroyuki/…
国葬の一般論的是非はともかく、旧統一教会との政治的癒着、多くの収賄が明らかな安倍晋三の国葬は明らかに間違いであり、反対します。 今後旧統一教会と距離を置いても国葬はかれらへのはなむけでもあり、日本の国家権力は無答責であると破廉恥にも宣言する行為です。 #安倍晋三氏の国葬に反対します
旧統一教会(家庭連合)を政治から排除できたとしても、まだ有象無象のカルト勢がいるし、本丸にはネオ国家神道がある。 日本は近代以降、国家主義の支柱を差別/排外宗教に求めてきた。単純な資金源というだけでなく、権力の専横を求める政治家には、宗教/宗派を問わず、差別/排外宗教は蜜の味だ。
日本の負の歴史を糊塗する歴史修正主義は比較的知られていますが、ここに来て表現の歴史において性表現のみ弾圧や規制が起きたかのように改竄する「おたくの歴史修正主義」が登場しています。 表現の自由戦士が守りたいのは、表現の自由と言うより、性表現にしがみつく特権/選民意識のようです。 twitter.com/arai_hiroyuki/…
赤松健・自民党候補が提示の「マンガの規制年代記」が多くの批判を受けています。漏れに『はだしのゲン』の図書館閉架事件、本宮ひろ志『国が燃える』の南京虐殺削除事件もありますね。 山田太郎議員も言論表現弾圧の歴史がエロありきで発言。マンガも多用のプロレタリア美術を知らない歴史知識です。
現役の弁護士が「ジェンダーは基本的人権の重要な一部」でなく「ジェンダーという言葉は憲法のどこに書いていますか?」と疑義を表明するのはなかなかすごい。さすが全体主義半歩手前の日本社会だけのことはある。 もはや表現の自由戦士は、第二の在特会、日本版SS、リアル憂国騎士団といった態だ。
赤松健の「過度なジェンダー平等」が典型例だが、「過度な平和主義」「過度な福祉」「過度な外国人優遇」「過度な社会正義」「過度な賃金平等」など、社会の適正状態を権力者が一方的に規定し「臣民」に従わせる図式が明瞭になってきた。 市民の権利確保と幸福実現に奉仕するのが政治家の役割なのに。
国際芸術祭「あいち2022」に参加する韓国作家はゼロ。コンセプトに多様性(ダイバーシティ)を掲げるなら、日本で韓国/朝鮮の作家の欠如はあり得ない。アンバサダーには、バイオレンス映画監督の河瀬直美、明治神宮ミュージアム設計の隈健吾。 芸術監督・片岡真実キュレーションの(日)本領発揮だ。
ウクライナが広く援助を受けたいのはわかります。しかしこの歌は帝国主義国の元首かつ大元帥の昭和天皇が「なぜ世は波風が立つのか」と空々しい責任転嫁をした歌で、戦後もその姿勢は続きます。 帝国主義と戦うためアジアに災禍をもたらした帝国主義を賛美するなら、貴国の正義はどこにあるのですか? twitter.com/UKRinJPN/statu…
外務省はウクライナ政府に抗議したそうです。該当アカウントがウ政府と本当に無関係なのか奇々怪々な状況ですが、少なくとも歴史修正主義の圧力は実在します。 知られていないだけで、各国での《平和の少女像》へのやりようと同じく、世界各国の歴史ビデオや資料に日本政府は干渉しているのでしょう。
ウクライナ政府が公報動画で昭和天皇をプーチンやヒットラー、ムソリーニらと並べ批判した件ですが、昭和天皇削除の修正動画に置き換えました。 日本政府の抗議ゆえでしょうが、広義の意味の検閲に当たるでしょう。ウクライナ政府の弱腰も問題ですが、批判すべきは日本政府の高圧な歴史修正主義です。
NHKの「シブ5時」だそうだが、すでにNHKは日本政府の歴史戦広報機関であるのを白状してしまったようだ。 後世の歴史家にとっては、第二次世界大戦中のグラフ誌『NIPPON』と同じく、NHKはプロパガンダメディアとしての研究対象となるだろう。
河瀬直美監督の東京五輪映画ドキュメント番組擁護に村西とおる監督が参戦、というのはすごくわかりやすい図式。 twitter.com/arai_hiroyuki/…
ポリコレ棒とか言う人がいるが、 そういう人は自身の手にある「マジョリティ棒」で呼吸をするがごとく常にマイノリティを殴っていることに無自覚だ。マジョリティ棒を最初に捨てることから、議論の前提条件がまず生まれる。
そごう千葉店の三省堂書店に久し振りに行ったら、 「社会評論」のコーナーが、小林よしのり、櫻井よしこ、渡部昇一、ケント・ギルバートのオールスターの札があって、ほか周辺でほぼ埋め尽くされ、下は「皇室」の札。 SF※の間違いじゃないのか。 ※Segregational Fiction 差別の作り話
最近よく使われる「正義の暴走」なる概念だが、そのルーツにサブカルの諸作品がある。 しかし少なくともその初期は、「正義を装う悪への批判」か「力を持つものの自戒」のどちらかの用法。 支配力のあるマジョリティがマイノリティの異議申し立てに使うのは、明らかな誤用というか、簒奪的な歴史修正。