傘洗ったら新聞に載ってみたりもしました。 この記事の方が私が病んで辞めたと聞いたらどう思われるのでしょうか。 今の私は一利用者、しかしこれほど恨んでる利用者もいることを思い知るべき。
最後となりましたが、私はJR西を一生許す事はない。 断固ない。一生恨み続けます。上は腐りきっています。 でも現場の人間は本当にがんばっています。 身体を壊さないようにしてください。 そしてあの忌々しい事故がおこらない事を祈ります。 最後までご覧いただきありがとうございました。
事故後、乗務員の待遇はよくなったでしょう。 しかし駅員は9:00~翌朝9:30まで休憩は呼び出し待ち、睡眠3時間とかがザラで仕事しています。 安全安全と表では言っていますが、経費削減しか考えていません。 現場は本当に頑張っています。腐ってるのは会社です。
子会社のお偉いさん方(JR西日本からの天下り)は「外で立って挨拶するのは業務命令。命令をやぶるなどありえない」とまるでロシア軍隊の真似事レベル。 強権発動と言うのか完全に腐りきってました。 そして私は精神的にやられて退職しました。 今も精神科に通院しています。
しかし腐った企業の子会社はさらに腐っていました。 朝9:00~夜1:00近くまで働かされ、休憩中は「呼び出し待ち」の時間となり、時には60分の食事休憩が5分となりカップラーメンの大半を捨てる等もはや休憩が仕事なのか解らない状態となりました。
そして退職後、JR西労組からきたのは「御退職記念」と書かれた伊勢丹のカタログショッピング。 記念ではないよな。 広がる不信感を感じながら、再雇用という形でJR西日本交通サービスの契約社員となりました。
その間も「増収旅行」と称した自爆駅プランなどに企画されていましたがやはり納得がいかず不参加 。 そして月日は経過し、正社員試験となりましたが、あえなく落ちました。 私に落ち度があったのかもしれませんし当時正社員登用率は30%以下でした。 致し方ない部分もあったでしょう。
人とも思っていない態度の会社相手に精神的に負担でしかない研修だった記憶しかありません。 そして私は配属された現場では楽しく仕事出来ました。 現場の人間は一生懸命にやっています。 未だに現場の仲間とは呑みに行ったり、楽しい付き合いをしています。
と権力かざす気満々で強弁しておられ、「まぁやっぱり内部は終わってる会社やな」と呆れた記憶が未だに鮮明に残っています。 吹田にある研修センターに行っても私は先生には合わないのか「気持ち悪い笑い方するな!」とか「お前はカマキリだ」など正直勉強する意志より、忍耐の1ヵ月でした。
私のJR西日本に対する思い。 私は元JR西日本の契約社員です。 私が受かったのは2008年。事故の3年後でした。 研修の初日、天王寺にある大阪支社にて人事のお偉いさんが開幕で一言 「いつでも辞めていただいてけっこうです」 #JR西日本 #福知山線脱線事故 #4月25日