広岡 祐(@yu_speedbird)さんの人気ツイート(新しい順)

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話としては面白いけれど、事実ではない。このときの実際のやりとりをリプしている方がいます。弟子たちの師匠ネタのマクラのひとつでしょう。 無粋なことを言うようだが、この手の「いい話」は、いつのまにか歴史的事実にされやすい。 twitter.com/knightma310/st…
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SNSでこういう物言いをする政治家が本当に増えた。何を考えても自由だけれど、この発言に怒りを感じたり悲しんだりする人々より、同じように他者を嘲笑し、分断を慫慂する人間のほうが多いと踏んでいるわけです。 twitter.com/kumagai_chiba/…
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わたしが生まれたころ、父母はマッチボックスのミニカーを集めていました。両親がいなくなり、実家を片づけたときにこれだけ貰ってきた。 ←「あら小さくて可愛い!」と母が買ったトラック → 40年後にはじめて実物を見て仰天する母
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文具百珍(31) リコーの手動計算機。カウンターみたいですが、加算と減算ができました。   こういうものがあったんですよ。むかしは。 (動画に続きます)
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三信ビルの内部。美しいアーケードでした。なんで壊したかねえ。 80年代の終わりから頻繁に韓国旅行に行きましたが、このビルに韓国観光公社があったのでしょっちゅう訪問していました。渡辺プロダクションが旗揚げしたのも、三信ビルの一室だったそうです。
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八重山の離島の港で、宿の主人がバーベキューを催してくれたことがあるが、とにかく酒の入った若いのが夜の海に入ることを恐れていた。ふざけて飛び込むふりをする奴を本気で怒った。 漁船のスロープの先、かきまぜると夜光虫が光るどんよりした暗い海で、酔った観光客が何人も死んでいるから。 twitter.com/KTR_trashbox/s…
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東京神田万世橋、交通博物館の階段室。日あたりのいい階段にこしかけて、売店で買ったばかりのバッヂや下敷きの袋を開けてみるんだ。
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これから20年たった。彼らは火星まで行ってしまった。
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白金の旧国立公衆衛生院(1938)。長い間廃墟のようになっていた時代を知っていると、美しく保存されている姿をみると感無量です。郷土歴史館+複合施設としてオープンしたとき、あまり知られていなかったのか、職員の方がチラシを片手に通りで呼び込みをしていました。すっとんでお邪魔しましたね。
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上野の地下道。 ←2015 2020→ ちょっと小綺麗になって『文化の杜道』という謎のキャプションがついたけれど、終戦直後に多くの浮浪児たちが暮らし、そして死んだあの回廊はそのまま。
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東京都心部の駅は、オリンピックを前に丹念に丹念に昭和の残滓を消し去る作業をしていたのですが、大きい駅は結構やり残しがあって面白いのです。
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NHKで渡辺恒雄のドキュメンタリーをやっていますね。 以前も紹介しましたが、水木しげる『コミック昭和史』より。ナベツネさんが同じことを言っている。当時の若者が哲学書を読みふけった理由。
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毎年終戦の日が近づくと、小野田寛郎さんの話題がネットに出るようです。以前も一度取り上げた話題ですが、これは毎年でもつぶやきます。 どのような政治的立ち位置であれ、小野田寛郎氏を称揚する人だけは理解できないし、その時点でその人の言説のすべてが信用できない。(続く)