身内から意地悪され続け「透明になりたい」と願ったがゆえに声も姿もなくしてしまった女の子。ムーミン達と一緒に過ごし優しさを受けることでだんだん姿が出てくるけれど、声と顔だけは戻らない。彼女は「助けて」と叫べたときに声を取り戻し、他者に怒れたときにやっと自分の顔を取り戻したんです。
なぜドストエフスキーオタクが一時期金カムに殺到したのかというと「尾形百之助」というドストエフスキーオーディションを書類審査だけで通過してしまいそうな逸材に界隈が沸きに沸いたからである。なお「だがドストエフスキーはツーブロックの男は趣味じゃないだろ」等の意見もあり議論は白熱した。 twitter.com/kakari01/statu…
怒りや悲鳴について考えたとき、いつも思い出すのは『ムーミン』に出てくる透明な女の子ニンニ。ヤンソンは虐げられた人間が声も顔も奪われてしまうのを知っていたし、悲鳴や怒りがどれほど主体性にとって大切かを分かっていた。自分の声や顔を持つということがどういうことか、ヤンソンが教えてくれた
ホラーには独特のヒーリング効果があると思っているのですが、正井さんの言うとおり「恨みを肯定してくれる」というのは大きな側面だと思う。ある意味でホラーは「一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する」という文脈を持ち得ているし、それは取るに足らない存在とされることへの異議申し立てだから。
美術館女子、オッサン目線のダッサイ企画すぎて無理なんですが、いつまで女性を無知扱いすれば気が済むんだろう。既に女性は自分のスタイルで美術館を楽しんでいるし、専門的知識を語る能力だって持ってる。男性と同じように色んな関わり合い方で楽しんできたのに、そう言うのを全部透明化される。
風呂に入っているあいだに思い出したけど、声を取り戻したときの台詞って文脈としては「助けて」で合ってるんだけど、言葉としては「私はここにいるわ!」とかだった気がする、今手元に物がないので確かめられない……。細部がアレだけど、他者に自分の存在を訴えるということなんだなと理解していた。
政府、見てないふりして押し進めるわりにはチラチラ過敏に反応を見ているので、ふざけた案件に対して、都度「ふざけんな」と送るのは大事だなと思います。本当に名前もメアドも要らないし、内容一行二行でもいいと思う。わたしは疲れ果てていた時期は箇条書きで送ってました。箇条書きはラク、お勧め。
わたしは美術館が好きだから余計に腹が立つけど、今まで自分を美術館が好きな人間だと思っていたら突然「ハイ美術館女子はこの列に並んで下さいね〜無知でも大丈夫ですよ美術館には映えもありますからね〜」と言われて『私は美術館女子です』みたいな看板を美術館側からくくりつけされるの悪夢です。
政治や思想と無関係な文化はなにひとつないので、わたしはオタクアカウントでも政治の話をするんですけど、実際好きなものを本当に真摯に突き詰めていくと政治や思想についてどうしても言及せざるを得なくなってくる。政治を持ち込むなではなく、どんな立場であれ最初から政治性を含んでいる。
この世は地獄なので、おじさんが作った美術館女子のイメージを真に受けたおじさんがまた「こんな広告を打たれて程度の低い客層が増えると困りますね〜」などと発言していて本当にひどい、おじさん目線の押し付けによって主体性を奪われた女性が押し付けられた属性によってまたおじさんに軽蔑される。
「キャンペーン中止とか言ってる人は詳細見たのか、1泊最大2万まで半額宿泊費をお国が持ってくれる神キャンペーンなのに」的な意見が回って来たけど分かってるに決まってるじゃん、寧ろ「お国が持ってくれる」って感覚が何?わたしらの税金なんだけど。適切な優先順位で税金を使えって話をしている。
いつまで女性は「何にも分からないけど、殿方の文化にお邪魔してみました♡」みたいなポーズを強要されなきゃいけないんですかね、なぜ「地域に根ざした美術館の隠れた魅力やアートに触れる楽しさを、"映える写真"を通じて女性目線で再発見」とか言われなくてはいけないんですか?うんざりなんですよ。
痴漢を見かけた際の声掛け、現場では水掛け論になりがちなので、他の人も目撃していたら「私も見ていた」と声を挙げて力添えすることが大切です。一緒に警察署までいけない人でも、連絡先等を駅員や駆けつけた警察官に伝えて、後日に事情聴取に協力することも出来ます。あと可能なら本当に撮影が大事。
金カム、ドスオタから「130年ぶりの新刊」とまで言われていた。
「政治の話はタブーだよね」という態度は政治的立場や責任から透明になっているのではなくて「政治の話をタブー視するという政治的立場を取っている」という確固たる選択であること、その態度が実際に政治に強く影響していることについて、もう無自覚でいてはいけない局面に来ていると思う。
リンクを繋げておきます。軍事費拡大、そもそも信じられないし今他にやるべきことめちゃくちゃあるやろって話だけど、復興費にまで手を付けるとかマジでドン引き案件にもちゃんと「ドン引き」と言った方がいい。「いけるかな?」って反応見てるから……。kantei.go.jp/jp/forms/goike…
尾形百之助をきっかけにドストエフスキーに興味を持った方は、岩波文庫版『カラマーゾフの兄弟』等の翻訳をした米川正夫が金カム本編から約五年後の一九一二年に旭川第七師団ロシア語教師に就任しているため「第七師団にロシア語を教えた男の翻訳…」と噛みしめながら読むのもまた一興かも知れません。 twitter.com/kakari01/statu…
美術館に興味がない層を取り込みたいのなら「美術館に興味のない層を取り込みたいです!」という企画でいいんですよ。そこに男女の区別はないでしょう。美術館に興味にない層=若い女性=無知でも美術館は楽しいよ的な目線をわざわざ取る必要は全くないです。あと若い女性を客体化しすぎて気持ち悪い。
最新のゴールデンカムイを未だ追えてないのですが、ドストエフスキー筋の方から「尾形百之助が優勝した」と言われて遂に優勝したんだな……となっているしゴールテープの切り方大体三種類くらいしかないのでドス波動で理解した。
オタク界隈における「おれの嫁」が「推し」という言葉の発明によってほぼ廃れたのは前任への違和感が「推し」という言葉によって解消された人も多いからだと思うけど、社会も「旦那さん」「ご主人」に変わる配偶者の新しい呼び方がすぱっと決まって「それですねん!!」て感じて定着してほしいよね…。
わたしはオタクなのでオタク観点から喋りますけど、もう日本のエンターテイメントで推奨される「頭をからっぽにして楽しめる」という態度にも疑問を持っていって欲しい。どんな文化にも創作にも政治性と思想は絡んでしまう、そこで「頭からっぽにして楽しむ作品だから」という免罪符は通用しないです。
何かを選んで何かを愛して生きていくこと自体が政治的態度で、それは特定の政党を応援するという態度のことのみを指すんじゃなくて、人生において自分が何を理想として何を良しとして何に希望を抱くのか、それを見定めて明らかにすることなんです。怖くも汚くもない、人間性の話なんだと思っている。
ガラスの天井を誤用し、各方面から指摘されたら発言した女性ばかりを挙げて「こちらはそういう意味で遣ってない、お前らが理解できてないだけ」という印象付けを行う吉村知事、言葉を奪うだけでなく正にそう言うのがガラスの天井という概念で復讐してくるので醜悪すぎる。無意識だとすれば更に醜悪。
アツギのタイツPR、あまりに間違い過ぎているけど客体化の話を理解できない層に説明が届かないことは目に見えているし、企業が謝罪したとしてマトモに問題意識を汲んだ謝罪文が出る可能性の低さまで何となく透けて見えるので、マジで何重にも疲れるな……購買層に疲労感と無力感を与える宣伝ですよ…。
街頭で見たとき「凄く良いポスターだな」と思ったんだけど、取り下げた方が良いと発言する政治家がいたり「後出しじゃんけん」と批判する人がいたりして、まさに必要性が裏付けられてる。だからこのポスターが必要なんだろ、自分だけが盛り上がって性加害者にならないよう、よくご覧になって下さい。