娘のいる日本に避難された5-60代の女性の皆さん。相談は持病や、介護保険・年金のことなど。しかし、お話するうちに「娘にできるだけ迷惑をかけたくない」「役に立ちたい」「友人がほしい」との本音が伝わります。本国でのキャリア、地域や家族からの人望、人生の年輪が断ち切られる辛さを知らされます
子どもたちのために常設・移動図書館を始めています。ウクライナ語の絵本を取り寄せ、英語併記の絵本も。そうしたら、身元保証のご家族がボランティアで日本の絵本の翻訳を始めてくださいました。「ぐりとぐら」がウクライナ語で読めるなんて嬉しいですね。物語の世界は子どもの感性を豊かにします。
小学校6年に転入したミハイロくん、嬉しそうに通信簿を見せてくれました!担任の温かなコメントをお母さんに訳し、「人気者ですね」と伝えたらとても涙ぐまれました。プール、サッカー、太鼓が特に楽しいそうです。9月からはオンラインでの本国の学校と一日12時間のWスクールを目指すとのこと。
四谷のハローワーク「ウクライナ避難民就業窓口」に予約して行ってきました。2時間半、通訳の方も含めて丁寧にカウンセリングくださり、落ち込みがちだったご夫婦も、帰り道は「帰って履歴書を用意しなくちゃ!」「生きることは働くこと」と張りのある声で話してくれました。 #ウクライナ避難者支援
ウクライナは理工学系の女性が多いです。中学卒業と同時に、技術を身につけるために専門学校進学も一般的で、ITから建築・造船、医療から芸術まで分野も多岐にわたります。その後、大学に進んで研究を深める人も。受験競争は少なく、実学やキャリア形成に重きが置かれています。おもしろい!
ドネツクではITの教員だったDさん。各国に離散した生徒たちを夜遅くまでオンラインでケアしながら、昼間は畑作業に精を出します。来日して2ヶ月、収穫を報告してくれました。都市部と地方、避難者の生活スタイルと課題も異なってきています。 #ウクライナ避難者支援
10代一人での避難者、荷物につけられたキーホルダーです。「母が編んでくれ、空港でくれた」お守り。家族愛と祖国愛、そしてキャラクター愛。いろんなものが詰まって、1万キロ離れた小さな彼女を支えています。(ところでこのキャラクターはなんでしょう?) #ウクライナ避難者支援
83歳のマリアさん。目が不自由、ハリコフから娘と共に日本の孫娘家族のところへ。生まれて初めての外国、飛行機です。車椅子で完全介護のためポーランドのYMCA、飛行機会社が全面的に協力。マリアさんが日本で心の平安を得られますように。女性3世代、これからも伴走します。 #ウクライナ避難者支援
都営住宅に入るなり「スカースカ!」と声があがる。ロシア語で「スカースカ(сказка)」とは「おとぎ話、夢のよう」。一時避難所のような場所を覚悟されていたらしい。「収納がいっぱいですね」と話すと「入れるものはないけどね(笑)」と。日本語のスカスカの意味を伝え笑い合いました。新生活幕開け!
ウクライナで十分に食べられずがまんした経験、日本では言葉が通じないストレスから子どもの過食傾向が複数報告されています。写真は日本のご家族が声をかけ、日を浴び土に触れ、体を動かす工夫を。気づきにくいですが、これも「トラウマ」、そして「ケア」ですね。いい笑顔! #ウクライナ避難者支援
日本で一人のウクライナ正教会司祭、ポール・コロルークさんの礼拝に出席。「困難な時だが、喜びは私たちの内側に見出せる」と語る。第一、第三日曜に都内・港区にて。「避難者に交通費を支援」「ソ連時代の高齢者や、幼児のための洗礼なら全国に足を運ぶ」と話してくださった。 #ウクライナ避難者支援
ようこそ。第二の都市、激戦地ハルキウから5人家族が来日。4歳から14歳の子ども3人、ミサイルが家の上空を飛び交い爆発に怯える日々。「戦闘が終わるのをギリギリまで待っていたが、もう逃げるしかないと判断した。もっと大変なことになるかもしれない」とお母さん。 #ウクライナ避難者支援
ようこそ。生後すぐ、ザポリージャの地下シェルターで黄疸、肺炎を発症したズラータちゃん(生後1ヶ月間半)。お姉ちゃん(10歳)もおむつや毛布を抱えて支えます。 ZlataはGold の意味を持つ名前、暗闇の中で輝く光です。 #ウクライナ避難者支援
今日は、ザポリージャからの母子3人と、ハリコフからの家族5人がこれから来日します。ザポリージャからは、生後1ヶ月半の赤ちゃんも。病院にて2週間早産、当日からシェルターに母子で避難し赤ちゃんの体重がみるみる減少したことで決死の避難を覚悟されたとのこと。 #ウクライナ避難者支援
土曜日のUkraine Cafe HIMAWARIには23名の避難者の方々にお越しいただきました。生活実践編では日本の食材や調味料について学び、試食も!その間、子どもたちはレクリエーションを楽しみました。疲れや不安がたまるころ、私たちは緩やかなコミュニティづくりを進めていきます。 #ウクライナ避難者支援
キーウから姉を頼って来日したヴァシリーナ(19)。2月24日に描いたという絵を見せてくれた。10代一人での避難を心配したが、眼差しはこの絵と同じ。傷つき、悲しみ、怒り、誇り高い。 #ウクライナ避難者支援
私たちの関わっている避難者の方々で「援助がほしい」という方はほぼおられません。「働きたい」「生きるとは働くこと」と到着翌日には口を揃えて言われます。そして、その就業が一番難しい。日本は移住労働者をどう迎えるのか、私たちは問われています。
明日は東部ドネツクから、モスクワ→リトアニア→ワルシャワ→東京という避難ルートをたどったご家族が来日します。貯蓄のほとんどをワルシャワまでの家族3人の旅費に充て、パスポートを持たずの出国。最初の相談から、決断、残る家族との別れ、移動、来日まで1ヶ月を要しました。