YUKI(@asolidnaliquid)さんの人気ツイート(新しい順)

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大きくマイナスなわけで、そこに今さら他人から少々親切にしてもらったところで、大したプラスにもならない むしろ今まで自分が受けた被害を思えばそれくらい当然の権利であるように感じられたりもして、他人のことを考える余裕がない 感謝するには、強さが必要なんですというような話だったと思う
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河合隼雄先生の、どの御本だったか忘れたけど、「本当に救いを必要としている人ほど周囲に感謝することが難しく、自分は被害者だとして世を恨み、それが一層救いの手を遠ざける」という話がとても興味深かった 曰く、そういう人は今まで散々世界から痛めつけられてきたと感じており、収支は →
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なかなか動こうとしなくて、よく見ると、男の子は同乗していた私たちも同じ階で降りると思って開ボタンをずっと押しててくれたのでした それに気づいて私たちにっこり、トレーナーさん「ナイス、ナイス!偉いぞ!」と声をかけていて、ちょっと泣きそうになった☺️
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出先でエレベーターに乗ったら、ソーシャルトレーニング中とおぼしき、おそらく知的障害か何かの男の子がトレーナーさんと一緒に乗っていて、「行き先の数字を押すんだよ」とか教わっていたのですが、目的の階に着いてトレーナーさんが「ここだよ」「降りていいよ」と声をかけても男の子は →
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ASDの人は何を考えているかわからないとか、共感力がないとか言われがちだけど、必ずしもそうではなくて、実は人一倍考えていたり感じていたりする。ただそれを表現すること、定型の人たちと分かち合うことに困難があり、なかなか伝わらないがために、 →
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「ロールシャッハの結果だけを見ると、精神病を疑うような数値が出ているけど、僕は彼女は病気ではないと思う。今は混乱しているけど、乗り越えられるでしょう。心も体もとても疲れている。休ませてあげてください」と。 「でも充分休んでいるように見えます」と、生活習慣の乱れを心配する母に、 →
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「それは怠惰なんじゃありません。深く内的な仕事をしているときというのは、その分現実的な物事に対応することが難しくなるものなんですよ」と説明してくれたそう。 人生で唯一受けたカウンセリングの相手がこの人だったというのは、今思い返しても本当に幸運でしかなかった。 →
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母はその頃バリバリ第一線で仕事をしていたということもあって、物事の表面にとらわれがちで、私のあり方にも苛立っていた。 心理士さんの話を聴いて"目には見えない深い部分で行われている物事"に初めて目が開かれ、そういう世界があるのかと、後に心理学を学ぶきっかけにもなったらしい。 #不登校
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"何もできない"ことを分かってくれただけで、私としては充分だった。とにかく、"いっそ何もしないでくれ"というのが当時の私の切実な願いだった。どうせ分からないんだから、せめて放っておいてくれと。 最近になって母に聞いたところでは、母とはもっと別の話もしていたそうだ。 →
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「何もないです。ただ放っておいてほしい」と答えた。 最後に母と一緒に挨拶に行ったとき、「非常に高い能力を持った子だけど、環境とどう折り合いをつけていくかが難しい。その悩みは今後も続くでしょう。僕には何もしてあげられなかった」というようなことを言ってくれていた。 →
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出来上がるのはいつも同じ景色だったのを覚えている。 深い森の中。白い石のお墓が並んでいる。木々がどこまでも重なって、生き物は何もいない。何の音もしない。 「これは誰のお墓?」と尋ねられ、「誰かは知りません。遠くで戦争があって、大勢死にました」と答えた。 ロールシャッハもやった。 →
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私の答えが標準的な解答から離れていて、「たとえばこれは⚪︎⚪︎には見えない?」と確認されたことがあった。 「そう見える人が多いということは分かります。"多くの人にどう見えるか"を答えた方がいいですか? 私に見えるものとは違うけど、多数派と同じ答えを言うこともできます。 →
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もしこれが学校のテストなら、そうします」みたいなことを言った。 「もし何か、学校にもっとこうしてほしいということがあれば、僕の方から伝えるよ」とも聞いてくれたけど、システム全体をすぐに変えられるわけもないし、私が合わなかったというだけで別に変える必要もないと思っていたので、 →
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中1の頃、もう学校へは行かないと決めた私に、スクールカウンセリングを受けてみてはどうかと学校から提案があった。 そうした制度が当時としてはかなり充実していて、大学で指導もしている高名な心理士さんが毎週来られており、何度か会って話をした。 いくつか箱庭を作らせてもらったりもした。 →