252
ヴァシリの遺した絵は、彼が最期まで手放さなかったことを考えると、彼の「個人的な弔い」だったのだろうと思います
土壇場でようやく自分を受け入れ、それでも孤独に死んでいった尾形ですが、命を奪い合うという形で心を共有した唯一の存在が弔ってくれたこともまた、祝福と呼べるのかもしれません
258
「全部お前の責任だ」という言葉は、外に向かって放たれていながらその実渡す相手がいない言葉です(ウイルクはもういないので)
アシリパさんはウイルクとは違う人間です
その言葉を受け取る義理はありません
受け取る相手のいない言葉は、鏡映しのように自分に還ってくる言葉だと個人的には思います
259
「小指の骨」を失った中尉殿の表情が、悲しくも穏やかで切なかったです
2人を自分が堕ちるべき地獄の底に連れて逝かずに済んだという安堵すら感じました
あの骨は妻子のよすがでもあり、中尉殿を「人」に留めておく最後のよすがでもあったのかなと思います
263
愛した人の目を治すための金塊で屠るべき宿敵の目を潰すという対比が悲壮な決意の象徴のようにも思えてとても良いですね…
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個人的な感情で恐縮ですが…
「単行本に収録する際に加筆をたくさんするなら本誌に掲載されるものは未完成ということではないか」という旨の批判的なツイートを複数拝見し、胸が痛いです
本当に大好きな漫画なので、先生や関係者の方の目に留まって悲しい思いをされることがないといいなと思っています
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ふと思ったのですが、尾形の犯してきた殺i人の中で、一番初めの母殺iしだけが異質なものだったのかもしれません
「その命が損なわれたら父が悲しんで会いに来る」程に母には価値があると思っていた
それが否定されてしまったからこそ、尾形は人の命の価値を信じられなくなったのかもしれない
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尾形の死が生育環境の悪さに対する回答かというと、個人的にはそれは違うと思います
「出自ではなく行動によって自己を定義せよ」とは杉元の言ですが、尾形は出自によって自らを定義しその像に沿う行動を選び取っていたこと、そしてその集積がこの状況を産んだのだということにきちんと気付きました
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先日の最i果先生のコラムで「死を以って罪を贖うことは、自らの命を価値あるものとして認識するということ」という旨のお話があった(と理解している)のですが、尾形は今際の際に「これまで犯してきた罪を贖うに値するだけの自分自身の価値」を見出したのだと思います
それは紛うことなき祝福でしょう
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自分自身に対して見ないふりを続けてきた尾形は、樺i太でアシリパさんと対峙して自己の内面を覗きかけた時に右目を失い、今回とうとう自分自身と真正面から向き合ってしまったことで左目をも失いました
生物の目玉は構造上自分の内部を見ることはできず、それ自体が非常に示唆的だと思います