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父の最期と同じ構図を生き残るための足掻きに持ってくる構成の妙
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「強い奴を倒すときは頭を狙わない」という教訓は、呪いのように尾形について回りますね…
網i走での杉元も今回の羆も(国境での頭巾ちゃんも?)そうですが、考えてみれば勇作殿も尾形に頭を撃たれていました
勇作殿はさながら頭を撃たれた羆のように尾形の内外に存在し続けています
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先日の最i果先生のコラムで「死を以って罪を贖うことは、自らの命を価値あるものとして認識するということ」という旨のお話があった(と理解している)のですが、尾形は今際の際に「これまで犯してきた罪を贖うに値するだけの自分自身の価値」を見出したのだと思います
それは紛うことなき祝福でしょう
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愛した人の目を治すための金塊で屠るべき宿敵の目を潰すという対比が悲壮な決意の象徴のようにも思えてとても良いですね…
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他者と気持ちを共有することがほとんどない尾形にとって、銃弾はまさに唯一確実に自分の気持ち(殺意)を相手に伝えることができる手段なのではと思っています
ヴァシリという対の存在との対決は、尾形にとって貴重な「気持ちが通じ合う」経験なのでは
だからこそいつになく自己肯定感も高まるのかも
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ヴァシリの遺した絵は、彼が最期まで手放さなかったことを考えると、彼の「個人的な弔い」だったのだろうと思います
土壇場でようやく自分を受け入れ、それでも孤独に死んでいった尾形ですが、命を奪い合うという形で心を共有した唯一の存在が弔ってくれたこともまた、祝福と呼べるのかもしれません
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祝われる少尉殿です
お誕生日おめでとうござい之進
#鯉登音之進誕生祭2021
#鯉登音之進生誕祭2021