非電化計画(@DML61ZR)さんの人気ツイート(古い順)

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駅撮り(鶯谷駅) 先日の上野駅の駅撮りの続きです。 その後上野駅から鶯谷駅に移動して何本かの列車を撮りました。 この列車は上野駅を12時半頃に出発し、終着は仙台に21時半頃に着く当時有名な長距離客車列車でした。 1980年8月 鶯谷 #EF80 32 が牽引する常磐線223レ
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TLで四国のDF50の写真がチラホラしていますので、数少ない中から私も1枚上げてみます。 この頃はまだこんなに #DF50 が残ってました。 1980年3月 多度津駅
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今日は #DD14 や14系の写真でTLが賑わっていますね。 特にDD14の排雪列車を撮られた方は羨ましい限りです。 当方、JREにかつてあったRail-On Clubのツアーで撮ったくらいです。 こちらは、2008年に上越線で運転されたDD14背合重連の快速「小出銀嶺号」です。 2008年3月29日 9727レ
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昔の大阪駅の9番線あたりには、時々荷物車が留置されていたりしましたが、ある日グリーン車が留置されていました。 電車や気動車と違って、客車のグリーン車は見かけるる事が少なかったので、興味をひかれシャッターを切りました。 1977-78年頃 大阪駅 スロフ62 2008(大ミハ)
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1999年9月の時点で、定期の客車普通・快速列車は、山陰本線の急行「だいせん」の快速区間と津軽海峡線の快速「海峡」、それとここ、九州の鹿児島本線 門司港 - 折尾間と筑豊本線 若松 - 飯塚間のみとなっていました。 1999年9月 門司港 バックで入線する門司港発 飯塚行き 2647レ
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ED76 87号機が牽引する寝台特急「彗星」 廃止直前にはたった4両のブルトレになってました。 それでもSOLOを1両連結し、ちょっとしたスペシャル感を残していました。 行きはドリームにちりんで宮崎入りし、帰りは最期の「彗星」の旅を楽しみました。 2005年9月 日向新富-佐土原 33レ 彗星
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40年前の1月、多気駅に進入するキハ58系急行列車。 並んだ腕木式信号機が壮観です。 撮影時期から、前5両は急行「くまの」、後ろ5両は急行「紀州」と思われます。 最後尾の朱色5号の車両は、荷物用気動車のキニ28です。 1980年1月 多気駅
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スペースワールド駅で快速の接続追越待ちをする門司港発 飯塚行きの50系客車列車。 このオハフ50 1276は窓が一つ埋められ、外見からも冷房改造済みな事が分かりますが、他の車両と違いベンチレータが残されている珍しい車両でした。 2000年3月 スペースワールド駅 2647レ DD51 876号機牽引
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「キハ35+キハ36」 x2連の奈良線の普通列車。 列車によって、これにキハ45やキハ20系、キユニ等が連結されたりしました。 最後尾の車両の方向幕には「奈良-京都」の字幕が表示され、渡り板には「キハ36 15」とペイントされています。 1979年6月 木津-奈良
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旧型国電や石灰石貨物の撮影地で有名だった宇部線の厚東川橋梁ですが、時折こんな列車もやってきました。 美祢線への直通列車でしょうか。後ろは キハ26、前は恐らく キハ23かと思われます。 1981年3月 岩鼻ー宇部
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和歌山駅に変な気動車が停車していました。 後ろ側のキハ35系と比べて明らかに車体が小さい事と、合造車ですが荷物は積まず郵便だけという事にも興味を惹かれて撮ったようです。 後年岡山で改造された115系を見た時はコイツを思い出して思わず声が出てしまいました。 1976年5月 和歌山駅 キハユ15 4
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伊那松島駅に停車中のED62 2号機牽引の貨物列車。 駅員さんがタブレットをED62の機関士に届けようとしています。 ワムとタキに挟まれた貨車(ホキ?)が気になってネット検索をしてみましたが、詳細は判りませんでした。 1980年8月 伊那松島駅
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宇野駅に到着した急行「鷲羽」。 子供がウロウロして良い時間ではないのですが、家族が車で四国の親戚の所へ行くのに、自分だけ無理を言って別行動で宇野まで「鷲羽」に乗せてもらいました。 宇野駅の改札を出ると、親父は既にそこにいて「楽しかったか?」と。 感謝しています。 1976年8月 宇野駅
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大阪駅に入線するDD54 24号機牽引の福知山線普通列車。 写真にはあまり残せませんでしたが、コイツを間近で見たり牽引列車に乗ったり出来たのは幸運でした。 1975年頃
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向日町へ行くと良く見かけた事業車。 牽引車かなと思っていましたら、急行形電車153系のサハシ153-11を改造した教習車、クヤ153-1だそうです。 左は夜行の客車列車「山陰」のオハネフ12とスハフ42のようです。オハネフ12は窓越しに中段の寝台が見え、サボも差したままです。 1976年頃 向日町(転)
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上越新幹線開業前の上越線は特急・急行街道でした。 181系「とき」や165系「佐渡」、上越型のEF58等々、関西で見る機会の無い車両が次々にやってくるのは新鮮でした。 1981年8月頃 越後中里-土樽 急行「佐渡」
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門司駅に停車中の長崎・佐世保行きの普通夜行列車の「ながさき」。B寝台車は長崎行きに連結されていました。 オハネフ12のSGの蒸気やオハ35ぽい原型のドアも良い感じです。 門司港から並んで座席を確保し、停車時間の長い門司で撮影しました。 1981年3月 門司駅 1421レ「ながさき」オハネフ12 58
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眠れない時は、補助椅子を引き出して暫くのあいだ流れる街の灯を眺めるのがいいのです。 急行「銀河」にて
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窓から夜景を見ていたら大変なものを見つけてしまった。どうしよう。
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地平時代の金沢駅で出発を待つ急行「能登」 スロ62のデッキやスハネ16の寝台内は白熱球だったようでオレンジ色っぽい明かりが垣間見えます。 こういう列車で旅する初夢を見たかったのですが、叶いませんでした・・・。 1981年1月 金沢駅 急行「能登」からスハネ16 2140
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おはようございます。 先日、不思議な軌道バイクを目撃しました。