日本テレビの『束の間の一花』というドラマで哲学監修をしています。京本大我さん演じる萬木先生とは「死の哲学」など共通点も多く、私の本や講義の内容も出てくる予定です。監修とか偉そうに言ってますが、京本さんの演技からいろいろ学ぶ気でいます。 #束の間の一花 #京本大我 #SixTONES twitter.com/shindora_ntv/s…
さよならが悲しいのは、悲しむほどの喜びがあったから。いくつもの別れ、喜怒哀楽と思考の積み重ねの先に、人生が変わる一瞬が待っている。ドラマは終わりますが、この経験を忘れず、考えることを止めず、顔を上げて、どうせなら喜んでさよならしましょう。ありがとうございました。 #束の間の一花
「哲学とは驚きである」は一花でなく古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉。「なんだこれは⁉︎」「なんだコイツ⁉︎」と思うとき、逃げるでも怒るでもなく知ろうとすることで、新しい気づきが生まれ、人生がより豊かになる。萬木先生、初回にして一花に驚かされっぱなしでしたね。 #束の間の一花
恋愛をしない理由なんていくらでもある。「恋愛コスパ最悪説」に対する一花の答えは「運命だから」。これって答えになってる? 誰かや何かに不合理なほど熱中するとき、リスクやコスパを超えた生きがいを感じる。この感覚は説明不可能で、同じ体験をした運命共同体だけが理解できる。 #束の間の一花
大事なことをいつ、どのように伝えるか。 ドイツには人と分かち合うことで喜びは2倍になり、悲しみは半分になるという言葉があります。信頼できる相手なら、悲しませたくない、迷惑かけたくないと気遣って心の距離をつくるより、ふたりが向き合って泣き合う方が幸せにつながるでしょう。 #束の間の一花
いつも元気で明るい一花が弟の前で恐怖や不安を口にしました。よき理解者で絶対の味方である家族に本音を言えるのは大切。しかし、家族の愛情はときに衝突を生みます。苦しませたくないという愛情は束縛にもなる。家族に必要なのは、愛情の形を変化させ、縛るのではなく支えてあげること #束の間の一花
楽しい時間はあっという間で、つらい時間は長く感じる。時間なんていくらでも伸び縮みするもので、時計で数える時間にたいした意味はない。死を意識しながら生きることで、束の間の時間に300年分の思い出を濃縮することもできるし、永遠を凝縮することだってできる #束の間の一花 #クロノスとカイロス
失ってはじめてわかる大切さ。健康、仕事、人との絆、人生は喪失の連続で、生きがいを失うと全てを失った気になってしまう。しかし、喪失は裸の心を映す鏡でもある。鏡を見て、忘れていた本当に大切なものが見つかることもある。失っても、生きがいは何度でも復活するのです。 #束の間の一花
人はやがて死ぬ。だから何の意味もない。 人はやがて死ぬ。だからこそ意味がある。 事実だけでは価値は決まりません。人間の有限性という事実に対して、あなたはどのような価値判断をするでしょうか?価値があるのか、意味があるのか、喜ぶのか、悲しむのか、決めるのはあなたです。 #束の間の一花
「よく生きよく笑いよき死と出会う」 「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」 日本の死生学の功労者A.デーケン先生は、とてもユーモアのある方でした。苦しんだ人ほど、笑うことの大切さを知っている。笑いは心を軽くし、体を健やかにし、絆を深めてくれる、誰にでもつくれる薬です #束の間の一花
ドラマの放送内容に合わせて、哲学の面で補足情報をつぶやいていこうと思います。ドラマに、より深みが出ればよいかなと思います。 #束の間の一花 #死の哲学
私の勝手な主張ですが、どんなにつらかろうが、いま笑うことができたなら、それだけで今までの自分を肯定していいのではないでしょうか?いま笑えたなら、生きててよかったんです。というわけで、私は人を笑わせるのが大好きなのです。 #束の間の一花
よく生きればよく笑えるし、よい死にも、よい師にも、よい詩にも出会える。全てがつながっている。 #束の間の一花 twitter.com/masakoimai/sta…
ケアには、互いが向き合ってするケアと、同じものを見ながら一緒に進んでいくケアがあります。夢をかなえるのは後者のケア。ただ、刻一刻と変化する状況の中で、適切なケアも常に変わっていく。ときには何かをする(doing)よりも、ただそばにいる(being)だけのケアが最もよいこともある。 #束の間の一花