初潮を迎えた日に母が何の前触れもなく赤飯炊いた事を急に思い出した。夕飯に出されて食べてる最中に父が帰宅して、母が唐突に嬉々として「この子、生理になったのよ!」と父に言った。「お、そうか!おめでとう」と言う父の声にどこか猥雑さが潜んでて、後にも先にもあれほど不愉快な夕飯はなかった。
小声で伝えてほしかった。何も初潮に限らず日頃の些細な成長や出来たことをもっと喜んでほしかった。生理を迎えて戸惑う娘の心をなによりも大切に包んでほしかった。初潮が大人の女性になる意味だとしたら、私はあの日、大人になることがとんでもなく怖いことにしか思えず、不安でいっぱいだった。
ひと言、赤飯炊いていいかどうか確認して欲しかった。そしてその問いに対して遠慮なく「恥ずかしいから嫌だ」と言える母娘関係でありたかった。私の気持ちなどお構いなしに父にいきなり報告してほしくなかった。言いたいのであれば私の居ないところでこっそりと「今日はそういうわけで赤飯」なんだと
すべての #毒親 へ告ぐ。 「子育てに失敗した」のではないんです。 「子どもの人生を台無しにした」のです。
この狂った暑さの中、手作り弁当である理由が私にはわからない…。手抜き云々ではなくて単純に食中毒が怖い。菓子パンとバナナ持たせる程度の方がよっぽど安全だと思うんだが。せめてもの安心材料ということで、おかずは全て冷凍食品にしてみた。子どもの命の安全を守るのも、愛情たっぷり弁当だよね。
『生まれてたった6年です。まだ気持ちも十分言葉や態度に表せません。1日1回は抱きしめてあげてください』 保護者会で貰ったプリントにあった言葉。過去の私が泣き出した。 たった6歳の私は、自分のではなく、親の気持ちを常に汲み取ってた。抱きしめられた事なんてなかった。いつも怯えてた。
親を許すのではなく“親が許せない自分”を許す。そちらに意識を向けてみたらやっと普通に呼吸が出来た気がした。許せないよね。許さなくてもいいんだよ。そういう自分も全受容する。親を許せず自責の念に苛まれるのは優しさが備わってる証でもある。だけどその優しさをこれからは自分に向けていきたい。
普通育ちの夫は「家族が世界でいちばん気を遣わないリラックスできる存在」だと言う。 毒親育ちの私は「家族が世界でいちばん気を遣う緊張する存在」だ。 そこで私は“家族”に対する概念がひどく歪んでる事に気づく。気づいたはいいものの、その歪みを矯正するのは周囲が思うほど容易い話ではない。