ヒッキーP(新アカ)(@hikkiepiii)さんの人気ツイート(リツイート順)

ネットが普及し始めた頃は「ネットに上げた物は永遠に消えずに残る」と言われていて、恐ろしさを感じる反面いつでも参照できるという安心感もあった。でも全然そんなことなかった。10年前愛読していたサイトの文章はもう二度と読むことはできず、愛聴していたボカロ曲はもう二度と聴くことができない。
ちょっと待って、昨今話題のAI絵師の問題の引き合いにボカロPを出してくるのは絶対に違うでしょ。そもそもなぜ「ボカロPはまだまし」みたいな発言をする発想に至るの?「なんか歌詞とか打てば勝手に歌って音楽生成してくれるソフト」みたいに捉えてる感じ?ソフト貸そっか?
「命に嫌われている。/ボーカロイド」に関する問題で最初に反射的に抱いた感想は、「命に嫌われている。/まふまふ」とかじゃなくて本っっっ当に良かった~~~!!!という安心の気持ちです。
今の高校生、初音ミクが発売した時2歳 今の高校生、初音ミクが発売した時2歳 今の高校生、初音ミクが発売した時2歳
どなたか、つなまるさんのこの曲を今でも聴ける場所を知っている方がいらっしゃったら情報を頂けませんか。 初音ミク Wiki - future men w.atwiki.jp/hmiku/pages/10…
中田敦彦さん本人よりも、彼のプレゼンを鵜呑みにしている人達が「ニコ動は終わった!未だにニコ動とか言ってるボカロファンは時代遅れ」などと言っていることがボカロ好きとしてなかなか赦せない事象なわけでして…。「ニコ動は敗北した」で止まっている君の認識が時代遅れなのだよ!
無色透名祭で伸びてるクオリティ高い曲をなんでもかんでも有名なボカロPだと予想している人は、無名なボカロPの地力をナメてると思います!
今のボカロ、いくら曲がしっかりしてて動画がプロくても伸びなかったり話題にならない雰囲気に既視感があったんですが分かりました。普通のアーティストは音と映像を商業水準にしても別にそれで人気になったりはしなくて、ボカロもそれと同じになったんです。「まるでプロみたい」とは褒められません。
中田敦彦プロデュースのボカロ曲、中田敦彦周りの自己啓発界隈(ボカロに興味なさそう)では大いに盛り上がっているのに、元々ボカロ曲を好んで聴く層の間では総スカンなの凄く面白い。ボカロ好きな人なら一連の動画を見れば盛り上がらない理由が分かると思う。中田さん、ボカロあまり好きじゃないよね?
こういうツイートするのも恥ずかしいな…。別に物作りすることや作業することが全然偉いわけでも凄いわけでもないのに、こういうことをわざわざ書かなきゃ分からない人も多いんだろうな、と、昨今のトレンド欄を見て思いました…。
「ボカロ大好き!好きなボカロは誰?」と聞かれたら鏡音リンとは答えるけれど内心複雑だ。好きなキャラクターから尋ねてくる人とはかなりボカロ観が違うと思うから。でも「ボカロ大好き!好きなボカロPは誰?」と聞いてくる人の方が厄介だ。自身と共通項がなかった時に露骨に興味を無くされるから。
数か月前まで僕はボカロ曲を聴いては「なぜこの曲が50マイリストいかないんだ!かっこいいのに!」と嘆いていた。でも違った。今のボカロの世界は違う。今のボカロの世界には中間のリスナー層が希薄で、数万再生行きうるヒット性に達しなきゃ後はマイリスト数10くらいに張り付いていく世界なんだ・・・
MARETUさんの音楽の魅力は、安定したリズムを聴かせている最中に突然数拍だけ全く違うリズムを挟み込んで歌の譜割り自体を捻じ曲げてしまい、不安定さと衝撃を与えるのに終始歌謡曲として成り立っていることです。ボカロより前、MARETUさんより前にはほぼ開拓されていなかった方法論だと思います。
ニコ動で最近の新着ボカロ曲を追って分かった事。Tiktok等の影響で10秒位の簡単なボカロ曲を連投してる人が結構いて、その大半が普通尺のボカロ曲よりも再生されてない(再生数2桁前半もザラ)。ニコ動はTiktokやYouTubeと違ってAIが拡散するシーンではないよ、人が拡散するんだよ、システムが違うよ!
中田敦彦のボカロ企画構想に関する詳しい雑感はここにぶら下げて書いていこうと思います。まず「最初からリアルタイムなメディアミックスを伴った物語音楽なんて前代未聞!」が強調されてましたが、それはユーザー主体で盛り上がっていくボカロの楽しまれ方じゃないし、言うほど前代未聞でもないこと。
明らかにボカロに興味無さそうなヤンキーめのカップルが、車の中でガンガンにピノキオピーの神っぽいなを流しててビビった
「誰にも認知されていないうちはニコ動の方がまだ多く再生される」がボカロにおけるニコ動の最後の砦。もしもこの点でYouTubeに負ける時、それはどちらに投稿しようが発掘する人が誰もいなくなった時か、YouTubeで新着曲を探せるシステムが確立してシーンがYouTubeに完全に移行した時のどちらか。
ボカロ曲を掘っていると分かるのが、「トレンドや流行曲を90%くらいなぞっているけれど残り10%の押しが足りない感じのボカロ曲・動画」が作業の大変さに対して最も不憫な埋もれ方をするという事。観る側からすると「それなら普通に有名な曲を聴く」ってなっちゃうから。僕と一緒に我が道行こうぜ!!
2022年はボカロPが路上ミュージシャンとかと同じ、何の特別感も無い普通の存在になったことが一気に明確になった年という感触がある。もう「ネット発の謎の勢力」でもない。
過去のことばかり語るのは懐古主義みたいで嫌だけど、僕が語らなければボカロの2008年とかのスイミーのことも、にゃにゅにょのことも、わりばしおんなのこともタマデラスのことも誰も語ろうとせず、ボカロの歴史上なかったことのようにされるのが本当嫌だ。あんなに大事件だったでしょ!?