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「こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど」という前置きの後、「仕事やら何やら私、頑張っているんです。すると、それを信仰のおかげ、お寺巡りしてるおかげというように言われる。違うんです。私が頑張っているんです。頑張っている中での心の拠り所なのがお寺なんです」心の中で100万回頷いた
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「戒律」は戒と律で成り立ちます。
戒は、自らの修行のために守るもの→守れなくても自分が悟りから遠のくだけ。
律は、健全な組織運営のためのルール→破れば「罰則」がある。
お釈迦さまのお智慧…
ご興味おありの方は佐々木閑先生の著者をおススメします。
shinchosha.co.jp/book/603675/
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結局「お釈迦さま…すげぇ…」
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教団の運営方法には明確に良い悪いがある。客観的に判断できる。手前味噌のようですが、その点、仏教僧団はその成立の過程でお釈迦様が細分化された「律」という教団運営の規範を明確にお示しくださった。2500年経った今でも仏教という教えが残っているのは、当時の健全な組織運営があったからこそです
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「宗教」は価値観を共にする共同体の規範として人類と歩んできました。その性質上、「組織」となることは自然な流れです。ですが、例えば何かの宗教と縁があった際、内部の規律や運営方法には留意してください。宗教そのものは良いも悪いもありません。それを決めるのは自分自身です。ですが、
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教義を信奉し、信仰からくる感動を多くの人と分かち合いたいのは人情です。ただそうした心の動きを教団内部の悪い奴らは利用する。内部に囲われた途端、ポスト争いや、教祖による独裁政権などが牙を向き骨の髄まで利用されます。
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宗教が取り沙汰されている。僧侶として勘違いして欲しくないのは、形ないものを敬い、神や仏に救いを求めるその心はこわいものでも怪しいものでも何でも無い。宗教が間違った方向にいくのは「宗教“団体”」になった時。その組織の運営方法に問題がある場合です。その背景には必ず人間の「欲」がある。
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@retro_landscape この前、トンカツ屋の入り口で因縁つけられました