berber(@Saharansivatea)さんの人気ツイート(新しい順)

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泉健太議員、朝起き会=実践倫理宏正会とのつながりの有無を有権者に説明して下さい。 銃撃事件の容疑者の母親は統一教会入信以前は実践倫理宏正会にはまり、父親が自殺したと報道されています。 関係がなければ、国会で議員と宗教団体との癒着を糾弾して下さい。 twitter.com/izmkenta/statu…
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あと念の為。個人的な意見ですが、韓国人の友人に確認したところ「旧統一教会は、韓国でもカルト宗教団体として嫌われている。 創始者が亡くなってからは、以前に比べ勢いはなくなったけど、日本では人気があるの?」と逆に聞かれてしまいました。 日本のメディアのみなさん、検証をお願いします。
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フランス・フィガロ紙。 lefigaro.fr/international/…
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のびているので、ツイートの根拠となったフランスのメディアをのせておきます。la secte Moon=統一教会として、容疑者の供述を載せています。 twitter.com/BFMTV/status/1…
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✖️宗教団体団体 ○宗教団体 すいません💦
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私が幼い頃、元アイドル、五輪出場選手や作家の娘が霊感商法で有名な韓国の宗教にはまり、連日ワイドショーを賑わせていた。合同結婚式の様子が繰り返し流され、ベストセラー作家が涙で娘の脱会を訴えた。 今や宗教団体団体の名称すら報道されず単なる「団体」と報道される。おかしくないか。
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ばあちゃんが、一番良い服を着てつえをつきながらよたよた雪の日も嵐の日も投票に行った。無理はするなという私に「うちみたいな貧乏人でも、女でも投票できることになったから行かにゃならんね」 #女性参政権75周年
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※北海道小樽市若竹町では、アリュートとは呼ばれず、民間人捕虜は通称「ハズ」とよばれていた。これは、どの文献や史料にも記載がない、私の母の記憶のみ。
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事実は埋もれるが、変わらない。 歴史は変えることができない。 曽祖母や小樽市若竹町の親切な方々、辛い日々を過ごした民間アリュート人のことを私も語り継いでいかなければならない。
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歴史学は、史料を元に、後世に事実を伝える学問である。 名もなき庶民、苦しめられた外国人の埋もれていた歴史を掘り起こし、反省し、その結果を未来につなげる意義がある。 戦争を語り継ぐ事の大切さが、そこにある。
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が、アリュートの民間捕虜は結核で次々と亡くなった。 やがて生き延びた捕虜たちは、アメリカ軍事基地となった自分の生まれた島に戻れず、アメリカの指定する島やアメリカ本土に移住させられた。
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正史には乗らないが、庶民が残した史料や語り継いだ話から歴史が蘇ることがある。 曽祖母の行いだけでなく、小樽市のまわりのみなが捕虜を助け、見守っていた。
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1980年までその事実は伏せられていて、その後、やっと小樽史にわずかな記述が載るようになった。 私の曽祖母は食糧難の中、わずかな野菜を苦しむ捕虜に毎日渡しに行った。 優しい鹿内巡査が 夫妻は見て見ぬ振りをしてくれたのか。 太っちょ先生は、往診で、片隅にあった小さい大根を見つけたか。
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母の話では、小樽市若竹町のバラックにアリュートの方々が寝起きし、優しい巡査夫妻が彼らの世話をし、太っちょ先生、とよばれるお医者様が彼らの診察をしていたと言う。 その通りの事実が記載されていた。 正史には乗らない民間居住地での外国人捕虜軟禁の事実。
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本の表紙は、日本兵とアリュート民族の少年の和やかな写真だった。 読み進めると、ワッツ島などに居住していたアリュート民族が、日本軍の指示で小樽に軟禁されていた事実がわかったのである。
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ところが、歴史を学んでいくうちに、ある本に出会った。
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私の母は当時幼く、幻想と理想が混じった話として私は受け止めていた。 曽祖母は初孫であった私の母をたいそう可愛がっていたそうで、母の曽祖母への想いが話を作り上げ、困っている人には親切にするべきだという教えを込めた話になったと。 なぜなら、当時の小樽史に捕虜の記録はなかったからだ。
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戦時中、曽祖母は小樽で軟禁されていたアリュート捕虜の人々に、毎日畑の野菜を届けていた。 嫁(祖母)は、家族分の食料が減ると抗議したが、曽祖母は渡し続けた。昭和20年曽祖母の葬式の日、警察に連れられ捕虜の方々が家の前に並んだ。ターバンを巻いた彼らは、泣いていた。母が繰り返し語る昔話。