ぬえ🦅(@yosinotennin)さんの人気ツイート(古い順)

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杉田水脈議員の総務政務官任命、フェイクニュースだと思っていたが現実らしい
1927
神田明神納涼祭りのクックロビン音頭、冒頭の「パパンがパン!♪だーれがころしたクックロビン♪」で櫓の上の踊り手さん達よりも早く完璧にポーズを決めている衆は同世代だと思う twitter.com/myojinnouryo/s…
1928
クックロビン音頭「だーれがころしたクックロビン♪」の元ネタはマザーグース「誰が駒鳥ころしたの?(Who killed Cock Robin?)」だというは一般常識だと思っていたが、そんなの常識だとしてるのは昭和のオタクだけだと断じられてショックを受けたことがある
1929
ついでに「そもそも、マザーグース知ってるのもオタクだけやで?」て言われて二重ショック twitter.com/yosinotennin/s…
1930
あ、そうですそうです。 元々はマザーグースなんですが、ポーの一族からの引用ですね。 魔夜先生、萩尾望都先生を作品内でよく引用なさっている
1931
政治家が創作物に猛省を促すのは表現の規制に繋がり、文化の萎縮と衰退を招きかねません。 ご自身のお立場に鑑みて、こうした発言はお控えあれ twitter.com/isozaki_yousuk…
1932
ちむどんどんは私には合わなかった。が、それとこれとは別です
1933
リプ欄を見ると、ドラマが自分の嗜好と合わない方の中にはこの発言を歓迎する人がいるようだけれど、これからの朝ドラも他の創作物も、政治家の顔色を窺いながら制作されるのを是とするようなものですよ。こんなの喜んだらいけませんよ
1934
例えばの話、夏目漱石の【坊ちゃん】を松山の人が「俺達の故郷をdisりやがって」と怒ったりそれ以外の読者も「つまらねえぞ」と野次ったりするのはアリでしょうが、政治家が出てきて「松山を貶すとはけしからん、漱石は猛省すべし。書き直せ」と言い始めたらそれはやめてくれとなりません…?
1935
小四郎の目が…先週までのそれとは全く違う。 全成の死、妹の涙を経て彼は更に変わった #鎌倉殿の13人
1936
「鎌倉がふたつに割れてしまう!」 今迄に一丸となってたことがありましたか…? #鎌倉殿の13人
1937
「比企を滅ぼしてください。首を取って大きい順に並べるの」 誰も恨んではいけないよという遺言も、子を惨殺された母の怒りの前には消し飛んでしまうな… #鎌倉殿の13人
1938
「鎌倉殿は正しかった」 北条の姉弟は、とても素直で勉強熱心なのよな。 学ぼうと思えばどんなことでも学べて、自らを伸ばしてゆく。血まみれの道でも歩む #鎌倉殿の13人
1939
「りくが申しておるのだからなんとかなる」 鎌倉を率いていく覚悟を問われて、この言葉が出てくるのだものなあ #鎌倉殿の13人
1940
比企能員、死す。 佐藤二朗さんお見事でございました #鎌倉殿の13人
1941
善児とトウが泰時について来ているの、一幡君を討つのは太郎には無理だと小四郎は思っていたんじゃないかな… 実際、せつを太郎は斬れずトウが #鎌倉殿の13人
1942
まだだ。まだ来週までわからん。 善児がいたからといって、一幡ぎみが死んだとは決まっていない。実際、彼は「どうします?」とでもいうように太郎を振り返っていたのだから #鎌倉殿の13人
1943
愛してくれていると思った叔父、全成が自分を呪詛したと聞き人間不信のまま病んで倒れて、ようやく回復して気づいたら自らが出家させられている…周囲の皆が自分の死を確信していたと気づいた頼家くんの心境や如何に #鎌倉殿の13人
1944
せっかく回復したのに自分を見ている身内の人間の目が(母を含め)誰も喜んでない、なんだったらしんどいてくれたらよかったのに的な反応で、しかも知らない間に妻と子と妻の実家が母の親族によってころされてるとか。頼家の立場と気持ちを想像したら眠れなくなりそう #鎌倉殿の13人 twitter.com/yosinotennin/s…
1945
「大きい順に」で佐藤二朗さんを思い浮かべて笑っておいでの方がいらっしゃるが、大きい順にということはそこからどんどん小さな首が並ぶという意味で、つまり実衣は幼い者も逃すなと言っている。私はとても笑う気にならない
1946
二週間前に、息子からの便りで「よくわからないが随分難しい修行をしているらしい」と夫全成に話しかけていた実衣を思い出す。頑張る我が子を気遣いながら誇らしく思う母そのものだった。 その子が命を奪われ首謀者はわかっている。 凍てつくような怒り、噴き出さないわけがない #鎌倉殿の13人
1947
柔和な奥方に、ぎすぎすした鎌倉幕府勤めの疲れを癒してもらっていたかもしれない大江殿…先年妻を【亡くし】ではなく、先年妻に【先立たれまして】という表現で、なにげに愛妻家であることが窺えたり。 柿本人麻呂の泣血哀慟歌を、独りで繰り返し詠む大江殿を想像して切なくなってる #鎌倉殿の13人
1948
比奈が比企の家に善哉を連れて行く。 「また遊びにきなさいね」と、せつが語り掛けた場面。比奈の目に映るのは道、比企尼、一幡、せつ。夫小四郎がこれから攻め滅ぼそうとしている比企の、女こども。 和やかな会話の中に、なんというワンシーンを作るのか #鎌倉殿の13人
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31話の和みポイントが佐々木のお孫さんと義村の手品くらいしなかったので、頼家の回復でとりま火葬の支度が不要になった八田殿を想像してみる。 低音セクシーボイスで「なんだ…いらねえのか…」 当然だが全身湿っている #鎌倉殿の13人
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孫と共にほっこり系アトラクションを制覇する伊東祐親 「メリーゴーラウンドにあんなに大真面目に乗る大人を私は見たことがありません」 「険しい顔で」 #鎌倉殿の遊園地