1876
「死体を隠す時、海育ちの人は山を、山育ちの人は海を選ぶ」というの、幼少期そのどちらの環境にもいたことがある人間としては「自分が育った土地の神に目をつけられるのを恐れるから」というよりは単純に、育った地における死体発見ケースが想定できるからという理由が強い気がします
1877
バズった呟きのリプ欄にくっついてくるコピペリプスパムアカウント、少し前まではおっぱい画像アイコンだったのに皆がブロック&報告するようになってからは、綺麗な女性のアイコン使っている(全員ひらがなのフルネーム)
敵は知恵を使ってきたぞ皆の衆、つまらんイタチごっこをさせおって
1878
承前)このケースでは、市役所まで送っていき帰りのバスを待つように言うくらいしかできないかもしれないというお話も伺い、やはりあの場で警察を呼ぶのはベターであったと思えるようになりました。
高齢化社会ではお互いに支え合っていかねばと改めて思う出来事でした。重ねてお礼申し上げます。
了
1879
皆様、温かいお言葉をありがとうございました。
易怒性は認知症症状の一つであること、またタクシーに乗ったとしても行き先がはっきりせず、お金を使い果たして降りまた迷子になるケースがあること等、教えていただき勉強になりました。また、本職のタクシーの運転手さんからは(続
1880
承前)迷子扱いというか実際お年寄りは迷子であったので、自分の判断は間違っていなかったとは思うものの、プライドを傷つけたのもまた間違いはないだろうし。
いずれ自分も年を取るので…なんとも切ない真夏の午後のことでありました。
それだけの話
1881
承前)冷たいお茶をおすすめし、迷ったがタクシーではなく警察に連絡して来てもらった。その後はお年寄りの怒ること怒ること、タクシーを頼んだのに迷子扱いして失礼だと。巡査さんが粘り強くお話してくださり、身分証で住所を確認、パトカーで送ってくださった。最後までお年寄りはお怒りだった(続
1882
少し前のこと。この夏最高気温を記録した昼日中、職場にお年寄りが「タクシー呼んでほしい」と訪ねてきた。市役所に行ったが帰りのバスを逃したので歩いてきたが迷子になってしまったと(市役所からここまでは徒歩1時間程)この暑いのにと思いつつ、どこまでお帰りかと聞けば住所を忘れたそうで(続
1883
#杉田水脈氏の総務政務官起用に抗議します
何度も何度も流れてくるタグ。抗議に同意するものの、
過去に数々の問題発言・差別発言・暴言があり、辞職を求める署名には13万筆集まったこの方がいまだに国会議員であることにこそ抗議したい(自民党の比例代表公認候補で当選)
1884
調査を受ける側が「調査を行う必要はない」と決められるのですか? twitter.com/Yomiuri_Online…
1885
時政パパは孫達と遊びまわりたいが「あたくしはここで結構」とパーク内ホテルのレストラン窓際席から動かないりくさん #鎌倉殿の遊園地
1886
「アトラクションは…闇雲に回ればよいというものではござらん」
聞いてもないのに、独自のパーク攻略法を説こうとする梶原殿
#鎌倉殿の遊園地
1887
絶叫系に「次はあれだぁ!!」と全て回る九郎義経、「御曹司! お待ちを!」と追いかける武蔵坊。
つきあってられないわよねえとテーマパーク限定スイーツを食べる、里と静。一緒にインスタに写真アップしてる
#鎌倉殿の遊園地
1888
孫と共にほっこり系アトラクションを制覇する伊東祐親
「メリーゴーラウンドにあんなに大真面目に乗る大人を私は見たことがありません」
「険しい顔で」
#鎌倉殿の遊園地
1889
31話の和みポイントが佐々木のお孫さんと義村の手品くらいしなかったので、頼家の回復でとりま火葬の支度が不要になった八田殿を想像してみる。
低音セクシーボイスで「なんだ…いらねえのか…」
当然だが全身湿っている
#鎌倉殿の13人
1890
比奈が比企の家に善哉を連れて行く。
「また遊びにきなさいね」と、せつが語り掛けた場面。比奈の目に映るのは道、比企尼、一幡、せつ。夫小四郎がこれから攻め滅ぼそうとしている比企の、女こども。
和やかな会話の中に、なんというワンシーンを作るのか
#鎌倉殿の13人
1891
柔和な奥方に、ぎすぎすした鎌倉幕府勤めの疲れを癒してもらっていたかもしれない大江殿…先年妻を【亡くし】ではなく、先年妻に【先立たれまして】という表現で、なにげに愛妻家であることが窺えたり。
柿本人麻呂の泣血哀慟歌を、独りで繰り返し詠む大江殿を想像して切なくなってる
#鎌倉殿の13人
1892
二週間前に、息子からの便りで「よくわからないが随分難しい修行をしているらしい」と夫全成に話しかけていた実衣を思い出す。頑張る我が子を気遣いながら誇らしく思う母そのものだった。
その子が命を奪われ首謀者はわかっている。
凍てつくような怒り、噴き出さないわけがない
#鎌倉殿の13人
1893
「大きい順に」で佐藤二朗さんを思い浮かべて笑っておいでの方がいらっしゃるが、大きい順にということはそこからどんどん小さな首が並ぶという意味で、つまり実衣は幼い者も逃すなと言っている。私はとても笑う気にならない
1894
せっかく回復したのに自分を見ている身内の人間の目が(母を含め)誰も喜んでない、なんだったらしんどいてくれたらよかったのに的な反応で、しかも知らない間に妻と子と妻の実家が母の親族によってころされてるとか。頼家の立場と気持ちを想像したら眠れなくなりそう
#鎌倉殿の13人 twitter.com/yosinotennin/s…
1895
愛してくれていると思った叔父、全成が自分を呪詛したと聞き人間不信のまま病んで倒れて、ようやく回復して気づいたら自らが出家させられている…周囲の皆が自分の死を確信していたと気づいた頼家くんの心境や如何に
#鎌倉殿の13人
1896
まだだ。まだ来週までわからん。
善児がいたからといって、一幡ぎみが死んだとは決まっていない。実際、彼は「どうします?」とでもいうように太郎を振り返っていたのだから
#鎌倉殿の13人
1897
善児とトウが泰時について来ているの、一幡君を討つのは太郎には無理だと小四郎は思っていたんじゃないかな…
実際、せつを太郎は斬れずトウが
#鎌倉殿の13人
1898
比企能員、死す。
佐藤二朗さんお見事でございました
#鎌倉殿の13人
1899
「りくが申しておるのだからなんとかなる」
鎌倉を率いていく覚悟を問われて、この言葉が出てくるのだものなあ
#鎌倉殿の13人
1900
「鎌倉殿は正しかった」
北条の姉弟は、とても素直で勉強熱心なのよな。
学ぼうと思えばどんなことでも学べて、自らを伸ばしてゆく。血まみれの道でも歩む #鎌倉殿の13人