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のどかな集落に不釣り合いなこの大病院は1987年に開院、医療過疎地の中核施設としての役割を期待され、付近には新駅まで設けられましたが、医師不足や放漫経営などにより2007年に閉院しました。
駐車場には高く木が育ち、建物には落書きがされています。
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船が唯一の移動手段だった集落で、通学困難な生徒らのために季節分教場として始まった学校。平地のほとんどない立地ゆえに、断崖絶壁の上に苦難の末に建てられました。
人口流出が続き1977年に廃校。潮風の吹き付ける校舎は朽ち、学校に至る急坂も今はほとんど草藪に埋もれています。
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道沿いのゲートから遊園地跡?とも噂されたこの若駒園。その正体は、1970年頃に開発されるもほとんど家が建たなかった住宅地でした。
残っているのは森を貫く一本道、その先にある「若駒像」、公園跡、そして唯一の建物「ロッジWK」だけ。
夢の世界のような不思議な放棄住宅地です。
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2000年の有珠山噴火で被害を受けたとうやこ幼稚園跡。当時入学式の準備中だった幼稚園は移転を余儀なくされました。
残された旧施設の屋根には生々しい噴石被害の跡が残り、建物全体が傾き内部にも草木が繁茂しています。
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洞爺湖南西岸、有珠山山麓にこの水没した道路はあります。元々は有珠山西山麓を走る国道230号でしたが、2000年の噴火による隆起で沼地となってしまいました。水底に車の揺らめく幻想的な風景が残り、噴火の凄まじさを今に伝えています。
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うすい女子寮は郡山市にあった百貨店の独身寮でした。体育館や食堂の付属する大型施設で、1970年前後に開設されています。1987年までに不使用となり、2014年頃に北側の建物が解体されました。残された建物は草木に埋もれ、静かに朽ちていっています。
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メガソーラーに包囲された新潟ロシア村の廃墟。