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優しさは、常に気まぐれでなければならない。ビールの泡のようでなければ、執着として相手を拘束しかねないから。
であるから、優しさの大半は祈りとなってこの世界に放散される。祈りを知らなければ、優しさは執着と我慢に変質してしまう。人の心の力はそれほど大きい。
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心ある人は誤解されやすい。心なき人は他人を操作するために言葉を選ぶ。つまり誤解は免れる。しかし心ある人の言葉は、真に関心のある者の胸に遂には届くだろう。関心のある無しで、その印象が真逆になるという現象は、誠実さや内実の一つの指標となるだろう。
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この国はすべて言われるままに生きる、言われなければ動けない国になった。もう思うがままだ。
もう大人に1ミリも期待する必要はない。それも禁止される前に、自分の生き方を楽しくしよう。
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日本に今必要なのは宗教教育なのだと思う。しかしこれに対する雑過ぎるアレルギーが凄くて難航している。だが心を折れにくくするには、(敢えてドライに言うと)このキーワードだと思う。あなたは一人ではない。
この哲学的な意味を、人間であればどんなに合理的な即物的な人物でも追い求めている。
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劣等感は文明の99%を形成する原動力だった。その結果、人類は滅亡と絶望感の危機にある。劣等感はその人自身のめくらましになり、勝つ為に非本質的なことに熱中させるからだ。だから今は、自分が何がしたいのかを見つめ直す最後の良い機会だろう。本質的なものを追究するのに、競争原理は必要ない。
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心が晴れやかでいることは、第一番の健康法だ。その為に必要なことは、自分が少数派でいる勇気である。なぜならすべての人は何かしら圧倒的に少数に属しているもので、それが人間の、そして生命の実相だからだ。自分が少数派であることを恐れたり、忘れたりすれば、晴れやかさからは見放されるだろう。
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さっきある人物に偶然会った。確かに痩せてたし、締まってた。有言実行。
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行き詰まったり、希望が持てない時でも、必ず小さな変化が裏側で起き始めている。すべてのものは繋がって、移り変わってゆく。その流れにふたたび回帰できる瞬間が、必ず来る。
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養老孟司がずっと言っていることは、人間は実際には多様性しかない世界を無理くり「同じ」で括っている。だからいつでも転覆する。覆水盆に返らずは、水を盆に乗せたから(人間の意識の俎上に乗せたから)だ。人間の理性の最下層。
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多才な人はその人が多才なのではない。文化が多才なのだ。
その人は文化に触れている(触れようとしている)から多才になる。しかし薄い関心で見ると多趣味の遊び人に見える。
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これはほんまにそう。覚悟した。
9月20日(月)🌉〜 twitter.com/DizmKDC/status…
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自分は信じる相手では無くて、観察する相手として最良である。他人よりずいぶん観察し易いはずのに、教育でそれを教えないために、自分に途方に暮れたり疑心暗鬼になったりする。観察する技術が進めば、いつの間にか自己信頼は改善している。