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今の日本が他国から徹底的な侮りを受けないで済んでいるのは、身命を投げ打ってくれた英霊のお陰だ。彼らが武士道精神を発揮したその記憶が、今でも我々をどこかで守ってくれているのだ。合掌、藤岡弘、
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人の痛みに気付かないで勝ち続ける、それは不幸な事だ。 合掌、藤岡弘、
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己の事は、自分が一番気づかない。自分の事が一番わからないのが人間だ。だからこそ修行の中で己を見つけることが大事だ。己を見失ってぶれたら終わりだ。合掌、藤岡弘、
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先祖が命懸けで守り繋いできた我々の命は尊い。個人を主張し一人で生きている顔をしても、我々の後ろには多くの先人の影がある。無数の足跡の前に立っているのだ。その事を我々は決して忘れてはならないと思う。合掌、藤岡弘、
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中東の人達は言う。「なぜ日本人はアメリカに復讐しないのか」と。日本民族は違う。そんな復讐をして子孫に何を残すというのか。我々の祖先は、子孫が怒り、悲しみを残さぬよう全て背負って死んで行ったんだ。 合掌、藤岡弘、
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新渡戸稲造先生の「武士道」を読んで感動される外国の方は多いんじゃないかな。相手を倒してガッツポーズをとる人間を、あなたは尊敬できるのか?敗れし者への憐れみの心を持っているのが、武士道である。 合掌、藤岡弘、
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決して諦めない者は、いつかきっと報われる。 合掌、藤岡弘、
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靖国問題。首相の参拝に賛成の人、反対の人。それぞれの意見があることは大いに結構である。しかし、私はこの国のために命を捧げ、死んでいった人の魂に手を合わせることに対し、なんらやましいことはないと思っている。合掌、藤岡弘、
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子供には、何かあったら、全力で逃げろという事を日頃から教えておくことだ。兵法において、逃げるということは立派な戦術である。何しろ逃げ切れれば絶対に負けないのだから。 合掌、藤岡弘、
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日本は世界中から馬鹿にされている。サムライは何処に行ったのか?と。今こそ問題を正し、民族として自立しようではないか。 合掌、藤岡弘、
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笑われていると分かっていても、何事においても真剣にやる。絶対に手は抜かない、影では何とでも言うかもしれないが、実践して結果を出すと何も言えなくなる。飄々とすることだ。合掌、藤岡弘、
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靖国神社には吉田松陰や坂本竜馬、多くの烈士達、国の為に殉死した方々が眠っている。その死者に対して感謝するのは当然ではないだろうか。それぞれの国のやり方がある。全ての御霊に対し、敬意と、これからは過ちを犯さない、という責任を確認する事でもあるのだ。 合掌、藤岡弘、
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まもなく開幕の
「第34回 #東京国際映画祭 」
この歴史ある世界的にも有名な映画祭で #藤岡弘 、の登壇が決定‼️
登壇は、10月31日(日)✨
「ジャパニーズアニメ部門」で今年生誕50周年を迎えた、「 #仮面ライダー 」の催しの中の登壇です。
▼詳細はこちら
2021.tiff-jp.net/news/ja/?p=570…
©️石森プロ・東映
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私は特別過激なことを言っているつもりはない。右翼だ、左翼だ、とそんな色分けは迷惑至極。私が目指しているのは「みんな仲良く」だよ。 合掌、藤岡弘、
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自分で自分を評価しちゃあだめだ。評価っていうのは、人がするものなんだ。合掌、藤岡弘、
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中東の人達は言う。「なぜ日本人はアメリカに復讐しないのか」と。日本民族は違う。そんな復讐をして子孫に何を残すというのか。我々の祖先は、子孫が怒り、悲しみを残さぬよう全て背負って死んで行ったんだ。 合掌、藤岡弘、
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靖国問題。首相の参拝に賛成の人、反対の人。それぞれの意見があることは大いに結構である。しかし、私はこの国のために命を捧げ、死んでいった人の魂に手を合わせることに対し、なんらやましいことはないと思っている。合掌、藤岡弘、
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人生にはリハーサルもアンコールもない。1秒後は歴史になってしまう。私達は確実に死に向っている、だから人生の一瞬に命を賭けろ。 合掌、藤岡弘、
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戦争という、抗うことの出来ない巨大な時代の潮流に飲み込まれ、無念な気持ちを抱きながらも、家族を思い、国を思い、死んでいかなければならなかった人々がいたからこそ、今我々は生きているのだ。合掌、藤岡弘、
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子供には、何かあったら、全力で逃げろという事を日頃から教えておくことだ。兵法において、逃げるということは立派な戦術である。何しろ逃げ切れれば絶対に負けないのだから。 合掌、藤岡弘、
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ボランティアとして戦場に行き、人間とはなんぞやと考えながら涙を流した。死体と向き合い死体を担いだ時に思った。死んだらただのモノなんだなと。死体は重い。地雷原も歩いた。そういうことを体験しない限りは、現地の心情は理解できないのじゃないかと思う。 合掌、藤岡弘、
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仮面ライダー以後、私の最も苦しかった時代は三十代から四十代の十数年間だった。二十代の頃の謙虚さを失い、傲岸になっていた。身体を壊し、自らを律する必要性に直面した。あの事故の時の経験は、まだ完全に私の血肉とはなっていなかったのだ。 合掌、藤岡弘、