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世はまさに大気圏再突入時代 twitter.com/SiRuKuRe/statu…
また、大量の捕虜への食糧供給も行う必要があった。ここで力を発揮したのがアメリカより送られた鉄道線路とトラックであった。軍需物資や兵士の輸送の他に農村からの食糧移送の重要インフラとなり解放地の復興へ役立って行ったのである。
44年になるとソ連赤軍は各地を解放、枢軸国軍を壊滅し大量の捕虜を得たがこれが再び食料問題を起こした。枢軸国軍が去った後の耕作地は荒らされ、農穀器具は破壊されるか持ち去られインフラも破壊されていた。また多くの労働者がドイツへ拉致され直ぐに農耕を再開するのは不可能であった。
例えば1945年1月の輸入量は小麦49490t小麦、ライ麦510656t、米52615t、オーツ8055t、大麦5322tなどが挙げられる。肉の缶詰や動物性脂肪、穀物は優先的に軍に供給され次いで都市部、農村部の順であり農村部での栄養状態は極めて劣悪だった。
追い討ちを掛けたのは43年のシベリア、ヴォルガ、北コーカサスの一部で発生した干ばつでありこれは国家レベルの飢餓を意味した。遡る事41年12月米英との間に食料供給の会談が持たれた肉類、動物性油脂、子供用の牛乳、脂肪、砂糖、穀物の供与が決定されたが、他大量の小麦など穀物の供与が追加された
ウクライナの穀倉地帯と工業地帯の損失だけでも8 億トン以上の穀物、1000 万トンの鉄鋼が1年間で失われてた。更に翌42年夏に枢軸国軍は残った穀倉地帯であるカフカスに迫り食料不足が深刻化していった。
しかも、レンドリースで最も貢献したのは武器輸出ではなくインフラと食料でした。41年夏の段階で枢軸国軍はソ連の耕作地の40%を占領し6400万匹の家畜と20万台の農穀機械を失った。更に2000万人の男性が戦場や工場に行き畑は全て女性の手に委ねられた。
一例に1942年5月の南西方面軍各戦車旅団、大隊の定数を見るとソ連製T60、T34戦車に次いでマチルダ、バレンタインが200台弱配備され一翼を担っていました。これら武器はただ使用されるだけでなく研究にも回され、ペリスコープの改良や後のAK47に繋がる技術をソ連にもたらしました。
レンドリースによる武器輸出は1941年10月には既に到着し、英国製戦車がモスクワ防衛戦に投入されています。その後、英の協力のもとイラン北部を占領し中東経由から大量の戦車、車両が送られて翌42年のハリコフ、ドン河、カフカス防衛で使用されました。
日本だとソ連史=軍事オタクのイメージが強いせいか、中途半端なイメージで固められてきちんと研究が行われていないのが残念です。なのできちんと資料に基づいて、レンドリース法が大祖国戦争とソ連に影響を与えたか書かせていただきます。 twitter.com/MoterSensha/st…
「一緒に遊びましょう」な構図のちびメーテルとちびエメラルダス #絵描きさんの繋がりたい #artwork
@karizo2022 オーストラリア軍のワニに対する教訓は、1945年 のラムリー島の戦いで、日本軍が渡河中にワニに襲われ約1000名(戦病死、餓死、その他含)が犠牲になり、生き残ったのは僅か20名のみという惨事が元かもしれません。
どうして普通の人々が虐殺に加わるか?を考える本 広くお勧めは出来ないけど一つの答えとして。
ロシアのオタク文化について。今まで友達から聞いたりしたことを描いてみました。#イラスト #イラスト好きさんと繋がりたい #絵描きさんと繋がりたい #illustration #illustrator