1901
東京都民はある意味ラッキーである。衆院選の2枚目の投票用紙に「れいわ」と書く事で、あの山本太郎の当選に貢献できるからだ。当落線上にあるということは即ち、自分の票で当選させる事ができるという事。こんなエキサイティングな状況は中々ない。2枚目の投票用紙(比例投票)は「れいわ」しかない。
1902
夏に房総半島に行って驚いた。多ヶ屋亮さんのポスターの多さにだ。自民党より多いぐらい。豊富な選挙キャリアを活かし、れいわの中では異質の選挙活動をしている。地元議会などとのパイプが太く、有力者に入り込んでいるのだ。千葉11区多ヶ谷さんが南関東比例ブロックで復活当選する可能性は十分ある。
1903
近畿ブロックもまだ1議席獲得の可能性は残されている。諦めてはならない。28日に山本太郎さんが滋賀から兵庫までテコ入れした。比例復活の条件である得票率10%をクリア出来ずとも、比例単独で八幡愛さんが控えてる。彼女は公示日からずっと近畿各地を回って比例票をザクザク掘り起こしてくれた。
1904
れいわの東京1議席は、他党のプラス1議席とは「重み」がまるで違う。山本太郎に国会で仕事をさせてみろ。どれだけ国会が変わるか。だから比例は「れいわ」なのだ。
1905
衆院選最終日。午後3時10分。れいわ山本太郎さんが新宿に出現。すごい数の人たち。陸橋まで人でビッシリ。「絶対に国会に戻ってくれ!」「比例はれいわに入れたぞ!」の声が聞こえる。
1906
東京比例ブロックで衆院選に立候補してるれいわ山本太郎さんが新宿駅前で演説中。上の陸橋、遠くの階段まで聴衆でビッシリ。
1907
れいわ新選組の山本太郎さんがJR中央線西荻窪駅で午後5時から演説。小さい駅が大群衆で埋まっている。西荻窪がこんな事になっているのは初めてか。山本太郎さんの「比例はれいわ」の呼び掛けに大歓声が沸き起こっている。
1908
新宿駅前でれいわ新選組の山本太郎さんが衆院選最後の街頭演説。一帯が大群衆。登場の瞬間に大歓声。山本さんの「比例は『れいわ』で」との呼び掛けに大きな拍手。
1909
30日夕に行われたれいわ山本太郎の西荻窪駅街頭演説。この街宣が決まったのは当日。だが山本の登場と同時に駅前はあっという間に埋め尽くされ立錐の余地なし。ここ東京8区からの撤退がつくづく惜しまれる。だが比例票に「れいわ」と記すだけで山本を国会に戻す事は可能だ。諦めてはならない。
1910
新宿駅。れいわ山本太郎さんの感動的な街頭演説が終わり、撮影を求める長蛇の列が続いている。
1911
まるで世界タイトルマッチのリングに上がるボクサーのよう。れいわ山本太郎。この圧倒的存在感。「Take On Me」のメロディにのって大観衆の前に登壇し、衆院選最後の訴えの第一声。 「やってやろうじゃないかよ!」 「変えてやろうじゃないかよ!」 「もう我慢ならないホントに!」 2021.10.30新宿駅
1912
れいわ山本太郎さん最後の訴え 「心配しないくていい。希望はある。この国の希望はあなた。あなたいなければこの国は変えられない。庶民がこの国をコントロールする。そんな当たり前の社会を創っていく第一歩。それが明日の選挙。どうか2枚目の投票用紙には『れいわ』とお書き頂きたい」 10.30新宿駅
1913
水を含んで、曲のクライマックスと共に階段を駆け上がる。台上から四方の大観衆に向かってそれぞれ一礼。第一声が「やってやろうじゃないかよっ!」。一世一代の世界タイトルマッチに臨むボクサーそのもの。こんなカッコいい政治家は今後現れないだろう。
1914
れいわ新選組山本太郎さんの新宿駅ラスト街宣がスゴかった。最終8時前にはこの状況。終了時、万雷の拍手が鳴り止まなかった。映画館で映画が終わった時の場内のような余韻。山本を国会に送るためにはとにかく2枚目の投票用紙に「れいわ」と書くしかない。
1915
衆院選最終日。自民党甘利明幹事長が地元で叫んだ。「私は凄い男だが、皆さんはそれを分かってない」と。一方、れいわの山本太郎は新宿駅前で大群衆に向かって静かに語りかけた。「希望は皆さんの手の中にある。みんなの力でこの社会は変えられる」と。どっちに賭けるか。後者なら比例は「れいわ」だ。
1916
投票所外で日本テレビの出口調査を受けた。タブレット式で設問は9つ。最後の質問が「国の借金が増えても財政を大きくすべきだ」にYesNoで答えるというもの。そもそも「国の借金」という概念からしておかしい。新聞テレビ与党が「国の借金」というデマを刷り込んで緊縮財政に誘導している。有り得ない。
1917
防災無線やケータイ緊急速報を使って、きょうが衆院選の投票日であることを告知せよ。4年に一度しかない国の大事件じゃないか。
1918
結果に関係なく叫びたい。 「山本太郎さん、ありがとう。最高」
1919
日本の切り札が国会に戻ってくる。山本太郎。長かったな。これからだ。
1920
山本太郎さん(東京)多ケ谷亮さん(南関東)大石晃子さん(近畿)が当選。最終コーナーに差し掛かって山本さんが「東京→神奈川→千葉→近畿→東京貼り付き」と立ち回っていたのは明確な根拠があったんだな。恐れ入った。比例の全ブロックで得票率3%超えを達成。他の仲間は参院選で雪辱だ。
1921
一番悔しいはずの大島九州男さんが仲間を称えるこのような発言。そして東海の件についてもいたずらに誰かを責めるでもなく前向きなフォロー。お人柄を感じずにはいられません。これからもれいわ新選組をよろしくお願いします。 … twitter.com/oshima_kusuo/s…
1922
落選したれいわの候補者たちのツイート内容を確認して、やはりこの政党に集う人たちはちょっと違う、素晴らしい、と感じた。ひとは負けた時に本質を現す。ときに迷いも感じながらの応援だったが、これなら引き続き応援できる、そう確認した。
1923
次の参院選では高井さんに党の選対本部長的な役割の一部を担ってほしい。支援者を鼓舞するのがこのように抜群にうまい。有権者感覚も持っている。俯瞰力もある。柔と剛の両方を兼ね揃えている。代表は国会と党運営で忙しくなる。この人の能力はれいわに絶対に必要。 twitter.com/t_takai/status…
1924
「連合」など殆ど役立ずな組織だということがはっきりした衆院選2021だった。悪いけど、れいわのボランティアのほうが全然強かった。
1925
東京4区(大田区)の共産谷川智行さんが落選してしまった。比例順位も4位だったため復活せず。山本太郎さん曰く「僕のヒーロー。この人は絶対に国会に戻さないといけない人。大田区の宝」。先日、夕暮れ時の多摩川の河川敷で、マンションに向かって訴えている姿をお見掛けした。本当に惜しい人材だ。