本多隆成(@TakashigeHonda)さんの人気ツイート(古い順)

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仰るとおりです。しかみ像は今では三方原合戦とは関係がないことを、徳川美術館の原さんが論文で明らかにされています。 twitter.com/ieyasuAvenue/s…
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いよいよ明日『#徳川家康と武田氏 信玄・勝頼との十四年戦争』発売です。 bit.ly/2ND10so 研究史重視の最新の概説と自負していますが、どう評価されるでしょうか?本書により図らずも「家康三部作」の完成です。
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本日5月19日は、桶狭間で討死した義元の命日に当たります。午前中に臨済寺で「今川義元公合同法要」が厳修され、私も参列しました。義元の首級は臨済寺に、胴体は豊川市の大聖寺に葬られているということで、初の合同法要となったのです。
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昨日と今日の静岡新聞の報道によれば、戦国末期の駿府城下町の武家屋敷の石垣や幅約2・7㍍の道の遺構が見つかったという。貴重な発見であり、2021年に予定されていた歴史博物館の開館が遅れるのは残念ではあるが、市の方でもその保存・活用を考えているようで、その方向で進めてほしい。
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いわゆる歴史博物館の建設予定地で、戦国期の道路や重臣屋敷の石垣が見つかったため、静岡市ではこの遺構を保存するため、博物館の設計をやり直すことにしたとの報道がありました。
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この度、静岡市が新たに購入した徳川家康書状が公開された。慶長5年(1600)7月27日付けで、中村彦左衛門尉・横田内膳正に宛てられたものである。この文書は、これまでは「写」では知られていたが、日付はなく、内容の記載にも誤りがあったため、「原本」を購入したことは意義が大きい。
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今朝の静岡新聞の一面トップで、新たに小天守台跡が発見されたと報道された。今回の発見は、『家忠日記』の「天守」「小天守」との記事を裏付けるもので、昨年秋に公表された天守台や金箔瓦が、中村一氏時代のものではなく、天正期の家康の城であったことを強く示唆するものである。
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今朝の静岡新聞で、3年間にわたった臨済寺文書調査で新たに発見された2点の中世史料が紹介されていた。今川義元の葬儀記録である「天沢寺殿秉炬(ひんこ)」と、永禄6年(1563)の関口氏純替地証文とである。近世・近代の文書調査が主目的であったから、貴重な中世史料の新発見は想定外であった。
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この程、拙著『定本 徳川家康』が重版となった。来年の大河ドラマ「どうする家康」に向けて、需要が高まるとの判断によるのであろう。これで第4刷となるが、理由の如何を問わず、やはり版を重ねるというのは、それだけ多くの方々に読んでいただけることになるので、うれしいことである。
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本日出版社より著者見本ということで、拙著『徳川家康の決断』(中央公論新社)が届いた。書店での発売は、10月20日(木)とのことである。この1年近く苦労してきた著書を手にして、さすがに感慨深いことだ。政治史の面からみた最新の家康伝だと自負しているが、どのような評価になるのだろうか。
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拙著『徳川家康の決断』が刊行され、1ヵ月が過ぎた。新書として読みやすい内容を意識しつつも、研究史重視の最新の概説とする従来からのスタイルは踏襲しており、この点を評価してくださる感想がかなりみられ、うれしく思っている。これで「#徳川家康 」を冠した拙著は、図らずも4冊になった。
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今日の『静岡新聞』11面の全面を使って、いわゆる「松平信康事件」が取りあげられていた。私は自宅でインタビューを受けてしっかりとお話ししたが、まさかこのように大きく取りあげられようとは思っていなかった。私の主張がほぼ正確に述べられていて、記者の方の熱心さと力量が感じられた。