ナスカの痴情ェ(@synfunk)さんの人気ツイート(いいね順)

日本Twitter界あるある風景として、小人プロレスは人権屋にTV放送を潰されたと憤る人が小人プロレスをTVで観てたことはないし(もともと放送されてないから)、行き過ぎたポリコレで映画はつまらなくなったと嘆く人がいきすぎたポリコレで現在上映禁止になってるはずの過去の映画名をあげることはない
ネットで誰かを批判するときに類似事例として「小人プロレスラーは善意により失業させられた」話を持ち出す人間はまったく信用しなくていいデマ屋であること、これ試験に出ます。
国が科学に口出しするとどうなっていくか。
市民を真っ二つに分断するような“投票”を2回もさせること事態がおかしかったとなればいい。
日テレ「スッキリ」でのアイヌ差別表現は、発信元の芸人が気づいて反省し向かい合うのは大事だが、放送をOKした番組内部のチェック体制や認識欠如の方がより深刻で、現状や再発防止を表す必要はテレビ側のほうがより重いな。
我が国はコロナに打つ手が無いから五輪を開催するって、世界を笑わそうとしてるとしか思えんな。
若い女性にコンドームを配るのを「売春(性交)を勧めている」と吹聴するのって運転するならシートベルトをしてと促したら車の暴走を煽っていると言ってるくらい頭のおかしいことだからな。
高須克弥の“愛知県知事リコール署名不正疑惑”はきちんと追求されなければいけないものだが、ナチスを賞賛しアウシュヴィッツも南京虐殺も捏造とうそぶく人間がお咎めなく出続けられた本邦のおかしさも覚えとかないといかんよな。
杉田水脈の“いいね”名誉毀損訴訟の敗訴を受けて、国会議員は気軽にいいねも押せないのかと憤る現職国会議員がいて驚く。権力を持つ人間が性被害者を嗤ったり属性差別twに気軽に“いいね”を押せる方が怖くて仕方ないだろ。社会は自分を常に踏みつける側にいさせるべきだって考えはどこから湧いてくるんだ
放送当初から当該番組に疑問が向けられたが、河瀬がとった態度は「すぐBPOとか放送倫理違反とか言う人に負けないで」の応援に「はい⭐」と応えただけだな。 /NHKの河瀬直美さんの五輪番組、字幕に不確かな内容 21年放送 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20220…
国の非常事態時に無能のトップが世間受けだけを狙う安い考えをメディアがその意図通りに報じてくれるのだから笑いは止まらんだろ。 twitter.com/asahicom/statu…
森喜朗「俺は間違ったことは言ってないがバカが面白おかしく騒ぐから俺の五輪のために頭を下げといた」 これを謝罪会見のの後に言えるんだから森喜朗はパワーアップした森喜朗だな。 twitter.com/montagekijyo/s…
私達は普通に話せる総理大臣というだけで評価する国の住民になってしまったことに驚いている。
菅義偉辞任表明に小泉進次郎が泣いてる映像を初めて見たのだが気持ち悪いなコイツ以外の感想が湧かなくてですね
この非常時で医療や福祉が何より重要になってるときに、削りまくり減らしまくり自己責任でぺんぺん草も生えない社会がお好みの維新が期待されてるってワシら地獄の民の生態はすごいなおい。
普段は左翼リベラル界隈の人間は苦境に陥った仲間を助けようとしないと嘲笑しながら、いま河井安里氏を助けようとする右翼ホシュ界隈の人を見ない。
五輪にしろW杯にしろ、いろいろ問題はあっても始めてしまえばどうせお前ら喜ぶんだろといった主催側のほくそ笑みが浮かぶよな。スポーツウォッシングは俺ら観客の“ともかく、感動をありがとう”も一体となって完成だな。
トランプが落選しても極東の島国にいるお前の生活が何か変わるわけじゃないぞと鼻で笑ってる人に応えると、そなことねえぞ、俺の周りで本音だ露悪が現実主義だと馬鹿騒ぎするお前みたいなやつのおもちゃが一つ消えて目が点になるから俺は嬉しいぞ。
統一協会との関係で(統一協会と)知らなかったと釈明する政治家は多く見るのに正体かくして騙しやがってと怒る政治家をみない。
「政府に意見する他人を蔑みたい気持ち」がツイートさせるんだろうなぁ。うーむ。糸井重里。このパターンばっかよなー。 twitter.com/itoi_shigesato…
なんで我が国は不要不急の外出を控えてくださいって言うばかりで、カネをやるから家にいてくれとは言わないし、ワシラも家にいろツーならカネをやれと言う声がでかくならないんだろうな。感染爆発しても自宅療養だつっても定額給付金って話が出てこないもんな。カネ返せ。
職場で「ジェフ・ベックが死んじゃったな」と話したら「えーっ、Amazonどうなっちゃうんですか」との反応を頂いた。
小池百合子の「東京アラート」、吉村洋文の「大阪モデル」を褒めそやしたメディアは自分達の内部密着ドキュメントをつくったほうが良い。『マルチ商法にハマる人と、その宣伝』のタイトルで放送すれば社会的貢献になる。
アウシュビッツ否定論を批判して名誉毀損で訴えられた歴史学者の法定での戦いを描いた映画『否定と肯定』。 否定論者と同じ土俵で議論をしてはいけない、歴史的事実と並べて議論することは相手の見解を認めることになり相手のPRにしかならないと議論しない手法が思い出されるな。
一度過ちを犯した人間は終生あげつらわれなければならない社会であってはなりませんが、内閣官房参与・高橋洋一については折にふれ他人の高級腕時計を「どんな人がつけてるのかな」と思って盗んだ男と紹介していかなければならない必要を感じている。盗っ人猛々しいことばっかやるので。