まきしろう(@kyoto_kaimasu)さんの人気ツイート(新しい順)

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今の時期はヒートショックがよく話題になるが、きまって思い出すのが『ドカベン』で山田太郎が解説していた風呂の入り方だ。自分の年齢が年齢なので、水島新司に感謝しながらゆっくり湯船に浸かる。
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#大人になってわかったこと選手権 かなり危険ではないかということ。 『仮面ライダー』OP
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特撮物で涙腺が緩むことはあまりないが『#宇宙刑事ギャバン』第43話「再会」は特別だ。この回はルーティーンの戦闘もなく、前半の救出と再会、後半の別れが情感たっぷりに描かれる。千葉真一と大葉健二の演技、渡辺宙明の音楽は、何度観ても胸を熱くさせずにはおかない。
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NHK「日本人のおなまえ」で映画のタイトル特集をしていた。『ローマの休日』が裏に赤狩りのテーマを持つことは山本おさむ氏の漫画にも詳しいが、原題Roman Holidayが「他人の犠牲の上に成り立つ利益」という意味の慣用句とは知らなかった。さすがダルトン・トランボ。
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ハリウッド制作の『ウルトラマンパワード』(93年)。NHK-BS「ウルトラマンの世界」でメイキングが紹介されたが、国が変わるとオープンでの光がやはり違うのが印象的。初代マンをベースにしつつ、怪獣の捉え直しも面白かった(ゴモラがフラフラ、ザンボラーが超重量級)。
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昨今「ネタバレ」というのがミステリーでなくても忌み嫌われるようになっているが、ビデオがなかった時代の我々は詳細なネタバレ本ばかり読んでいた。でもそのことで、後に作品を観たときの面白さが減殺されたと感じたことはない。予め知っていても、やはり面白いものは面白いのだった。
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1982年に円谷プロからいただいた葉書。「準備がなかなか難航」していたのは、実相寺・佐々木コンビの『ウルトラマン・怪獣聖書』のこと。製作のニュースを知り、矢も盾もたまらずファンレターがてら「来年公開ですか?」とか訊いたのだと思う。実現していたら、どんな映画になっていただろう。
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先日ツイートした昔の新聞広告でウルトラマンの顔がすげ替えられていたが、よりあからさまな事例があった。元の顔を使うつもりはないという強い意志を感じる。 「近代映画ハロー夏休み号 ウルトラマン大特集」より。
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今年は『ウルトラマン80』放映40周年。新しい実写ウルトラが来ると知ったときは興奮したが、福井はTBS系列局なし。初回の水曜19時は点いていないテレビの前に座り脳内妄想で悶えた。写真はコロコロコミックの特報。
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12月28日は岸田森さんの命日。82年の福井新聞。『ピーマン白書』があり『怪奇大作戦』がないのが時代を感じる。「不死蝶 岸田森」は水谷豊の回想録や萩原健一の次の言葉を収録。 森ちゃんのことを思い出すのはつらい 私にとって彼は友人を超えた 全くたとえようのない 大きな存在であったから······
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93年にNHK衛星第2で放送された「ウルトラマンの世界」での生中継。金沢から佐々木守、金沢明子と共にシーボーズが登場。その着ぐるみのあまりの出来にちょっと絶句する。
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9月3日は彫刻家でデザイナーの成田亨氏の誕生日。ウルトラマンやセブンをデザインした偉大さは言うに及ばず。ヒーロー物としては最後に手掛けた『円盤戦争バンキッド』(1976年)の敵宇宙人は造型が追い付いていない恨みはあるが、セブン以上にアーティスティックな挑戦が感じられ素晴らしい。
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夏も終わろうとしているが、1986年夏の関西テレビの深夜枠はこんな夏っぽいプログラムだった。当時はモノクロでも普通に放送していたし、面白いものはどんどん発掘して共有しようという感じが良かった。
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1981年発行の『仮面ライダー』(徳間書店)は藤岡弘の1~13話に絞った本で、表紙のセンスが渋い。注目は藤岡の怪我後の毎日放送での会議録。1号を殺すことにあくまで反対する平山亨Pの姿勢が、その後の“世界各地で戦い続けるライダーたち”という世界観の出発点になったと思うと感慨深い。
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水野晴郎が「水曜ロードショー」をお休みしている間、1年間、愛川欽也が解説を務めていた。その最後の回が1984年7月の「ウルトラマン怪獣大決戦」。楽しそうに解説するキンキン。1年前の「実相寺昭雄監督作品ウルトラマン」は解説者不在の時期だったのでチト淋しかった。
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ウルトラセブンの「狙われた街」の決定稿には、ラストの有名なナレーションがない。金城さんが「人間のお互いの信頼感」を前提に書いた脚本に、実相寺監督がラストに一言加えることで、話を完全に反転させて「自分の作品」にしてしまった。こういうのが「監督」なのだろう。