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一般の歴史好きが史学科に入ると、4月の初っ端でみんなが大好きだった司馬遼太郎や塩野七生の小説はフィクションだったと分からせられる光景が風物詩になっております。それ自体は歴史を学ぶための成長なのですが、中には価値観が裏返って歴史フィクションを歴史学の下に見る者が出てきます。
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あのエラン君が4人目らしいので、前のエラン君達が処分されている可能性は高いのですが、物語開始前にグエル君がホルダーだったという事を考えると、グエル君に負けて処分されたエラン君もいるって事ですかね?
そうだとして、それを知ったグエル君の反応を見てみたいですね。
#水星の魔女
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エロ関係の規制を対岸の火事だと思っていた人も多いでしょうがこうやって規制の手は段階的に伸びてきます。殺人事件だけでなく、現代の価値観にはそぐわない表現もある時代小説も対象となったりしかねません。
最終的には特定の思想に合致しないものは不適切扱いをされることすら大袈裟ではありません twitter.com/yamadataro43/s…
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現在大河ドラマで見られる一部の歴史好きによる攻撃とも言える過激な主張は、前ツイートの現象と同様なのだと思います。
普通の者は歴史学を学んでいく中で、歴史学と歴史フィクションは関係があっても基準や立ち位置がまるで違う事に気付くはずなんですけどね。一部はどうしても過激化します。
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歴史学的な正しさだけで歴史フィクションを評価する事は、司馬遼太郎の小説を史実と思い込むのと同じ事だと思います。方向性が違うだけでは
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エラン君がやったあの徹底的なグエル君対策は、前のエラン君がグエル君に負けて処分された事による警戒のせいだったのかもしれません。
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そもそも単なる歴史オタや、大学で多少歴史学を齧っただけの凡百の輩が、大河ドラマに関わるれっきとした研究者に突撃している光景は滑稽であります。
まあこれは昨今のコロナ騒ぎで医学でも起きているので、歴史界隈に限らない事でありますが。
……つまり、人間の本性は悪!(違います)
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冗談は兎も角、歴史フィクションを歴史好きが見るならそれ程気負わず、この衣装はあの絵を参考にしたのかとか、ここはあの先生の説を採用したのかとか、史料からは理由のわからないあの行動にこういう理由を付けたのかとかふんわり見るのが良いと思います
もちろん、合わなければ見なければ良いのです
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いや、私だって推しキャラが史実だと有り得ないような言動をさせられたりしたら、ムカつきますよ。でも、フィクションに文句をいうのは筋違いだと思います。
あと、作者が歴史学の領域に踏み込んで雑な俗説を言い始めたら、その時指摘すれば良いでしょう。これもTwitterでよく見られますね
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日系ではなさそうな主人公に正座をする習慣があったり、カウンセリング室が懺悔室っぽいつくりだったりと、水星の魔女の世界の習俗を考察すると面白そうではあります。 twitter.com/adenoi_today/s…